レファレンスデータベース > 足利義輝と塚原卜伝
足利義輝と塚原卜伝
質問内容
回答内容
まず、「足利義輝」を主題とした資料の中では、以下の資料に記載されていた。
①『歴史街道311号』には、「剣豪将軍 足利義輝」の特集がある。足利義輝人生年表の1558年23歳の項には、「この頃、塚原ト伝から剣を伝授される。」と記載がある。また、「卜伝との邂逅」の項目に塚原卜伝との出会いのエピソードが紹介されている。
次に、「塚原卜伝」を主題とした資料の中では以下の資料に記載されている。
②『考証武芸者列伝』には、「卜伝は、京都では将軍足利義輝および足利義昭に謁して、刀槍の術を教授したと『武芸小伝』にある。もっとも、その条のタネ本につかわれた『甲陽軍艦』のほうには、万松院殿(足利善晴)、光源院殿(足利義輝)、霊陽院殿(足利義昭)の三代に教授したことになっていて」と記載されている。
③国立国会図書館デジタルコレクションで、②の参考文献『武芸小伝』の原文を確認したところ、『史籍集覧. 第11冊』に「謁将軍義輝公及義昭公奉授刀槍之術」と記載されている。
④国立国会図書館デジタルコレクションで、②の参考文献『甲陽軍艦』の原文を確認したところ、『甲陽軍鑑末書結要本』5巻第一、二の項目に「ト伝が一っの太刀と、日本國中國郡を持給ふ御方へ相傳仕る、既に御公方萬松院御子息様光源院殿、霊陽院御二代へ申上るなり。」と記載されている。
※光源院殿(足利義輝)
⑤『図説 日本剣豪史』の「塚原卜伝高幹」の項には、「巷説では、ト伝は足利将軍義晴、義輝、義昭の三代に兵法を教え、とくに義輝と伊勢国司北畠具教には、「一つの太刀」を伝授したと伝えられているが、義昭が将軍になった永禄十一年(一五六八)、ト伝は七十八歳、死ぬる三年前であるから義昭とは関係が無かったといえる。義輝が将軍になった天文十五年(一五四六)でさえ、ト伝はすでに五十七歳であった」と記載されている。
なお、⑤と同様の記述が、②『考証武芸者列伝』の塚原卜伝の項にも同様に紹介されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
カテゴリ情報
![]() | レファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 岡山県立図書館 |
---|