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倉敷市の空襲
質問内容
回答内容
資料①『空襲の史料学』によると、米軍の情報部により1945年8月8日に倉敷都市工業地域に対する「目標情報票」が作られ、その訳文全文が紹介されている。また、米陸軍航空軍司令部A-3(作戦・訓練部局)が1945年7月21日に提出した「(秘)小工業都市地域への攻撃」には、日本全国の180都市を人口の観点から攻撃対象とした表があり、岡山県内では岡山市(No.31)、津山市(No.127)、玉野市(No.142)、倉敷市(No.159)となっていることも紹介されている。
なお、米軍資料はピースおおさか所蔵となっている。
資料②『OKAYAMA6・29米軍資料の中の岡山空襲』、資料③『B29 64都市を焼く』には「中小工業都市地域への攻撃(Attacks on Small Urban Industrial Areas)」にある全国180都市が全て紹介されている。
資料④「ウォーナー伝説批判」には、爆撃目標の180都市を設定している資料として「Attacks on Small Urban Industrial Areas」を紹介している。なお、所蔵は大阪国際平和センターとなっている。
※資料により「小工業都市地域」、「中小工業都市地域」となっているのは翻訳の違いによるものと考えられる。
※ピースおおさかは、大阪国際平和センターの通称。
資料⑤「なぜ倉敷は空襲を免れたか?」には「目標情報票」を写真で掲載している。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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