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丙午信仰のはじまり
質問内容
回答内容
①『日本風俗史事典』には、「人の運勢に仮託するようになったのは江戸時代からである。とくに、丙午生まれの女性は気性が強くて結婚しても夫を早死させるとか殺すとかいわれる俗信の定着したのは、江戸開府後三度目に回ってきた一七二六(享保一一)年」と書いてあります。
②①の参考文献としてあげられていた『丙午迷信の科學的考察』には「丙午迷信なども尾に鰭がついて日本化され、(中略)次第に擴まつていつたのであります。それが口傳えでなく、初めて文字になつて表れたのは(中略)徳川末期になつて特にそれが顕著となつてきたことは事實でありまして」とあります。
③同じく①の参考文献の『迷信の実態』には、「八百屋お七事件後間もなく元禄時代に入ると丙午は火事と縁を切つて、いつしか「丙午の年の女は夫を殺す性なりと世俗いう」(婦人養草)とか、「世俗丙午の歳の女は男を殺し、丙午の男は女を殺すとて専ら忌めり」(良姻心得草)という迷信に變化した。そして、七代家繼・八代吉宗將軍時代にはこの迷信がたちまち天下を風靡するに至つた。」とあります。
④『日本の風俗起源がよくわかる本』には、「江戸時代になって、ひのえうまの年に生まれた女性はすべて、いつまでも陽のもっとも強い性格をもつので、一緒になった男はことごとくやられてしまうから、ひのえうまの女生とは結婚するなというふうに定着してきます。」とあります。
⑤中村祐三『丙午の真実』には、「わが国の丙午迷信について、最も古い文献は、寛文二年(一六六二)の山岡天隣の「俳諧身楽み千句」に出て来る「すごきは丑の時参りして、丙午ならずとも男喰なまし」であるようである。」とあります。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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