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石見銀山の灰吹法と灰吹銀の産出量
質問内容
回答内容
①『銀鉱山王国・石見銀山』
p.53 図29に灰吹銀のカラー写真が掲載されている。
p.81-82 灰吹法は「石見銀山で大量の銀生産を可能にした精錬技術」と紹介されており、その技術や効果、歴史についての解説がある。
②『世界遺産石見銀山を歩く』
p.16-17 「天文2年(1533)寿禎は宗丹(そうたん)・慶寿(けいじゅ)という2人の技術者を博多より招き、灰吹法(はいふきほう)という銀製錬技術を導入する。」とあり、灰吹法の導入の歴史が書かれている。また、「灰吹法の導入以降銀山での産銀量は増大し、これらの銀は国内流通よりもいち早く海外に輸出された。」とある。
③『金・銀・銅の日本史』
p.72-73 「cupellation」とは、「東地中海地域や西アジアでは、金、銀の純度を高める方法の一つとして少なくとも紀元前二〇〇〇年から用いられている精錬技術である。(中略)cupellationは、これまで、一五三三年に朝鮮半島から石見銀山に「灰吹法」として伝えられたのが日本への初めての導入とされてきた。cupellationを、「灰吹法」と呼ぶのは、灰を敷き詰めた炉、あるいはルツボを用いることによると見られる。」と書かれている。
p.116 「一五三三年に石見銀山にもたらされたという灰吹法は、その基本的な理論は同じでも、古い時代のものとは違って、銀の回収率を向上させた改良型と見なしてよい。この新たな灰吹法は、鉛の吸着材として骨灰を炉の中に敷き詰めるもので、作業の効率化と銀の回収率の向上を図っている。」とある。
④『日本通貨図鑑』
p.18 灰吹銀のカラー写真が掲載されている。「天文2年、神谷寿禎が博多より宗旦・桂寿両名をつれ来り、石見銀山で始めた灰吹銀の方法で作製されたもの。図示のものは非常に小型であり、足利銀と呼ばれているが、後世の豆板銀のごとく使用されたものと思われる。」とある。
⑤『銀山社会の解明』
p.40-44 「第2章 鉱山の経営と労働」に、石見銀山の産銀量の推移についての記述がある。「産銀量の推移」の表があり、延宝1年から元治1年まで各年の石見銀山の産銀高、前年比、最高値比が記載されている。
p.67-100 「第4章 吹屋の経営と生産」に、近世の石見銀山の灰吹銀の引替歩合についての記述がある。
p.78 「灰吹銀100目に対する通用丁銀の価格」の表がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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