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サクランボの起源
質問内容
回答内容
①『サクランボの絵本』には、「サクランボのふるさとは、黒海周辺、コーカサス山脈の南と考えられているよ。紀元前4000年ほどのころに、ヨーロッパ中央部の低地にくらしていたとされる古代スイスの湖棲民族の遺跡から、タネが出土しているんだ。」とある。また、「サクランボには、大きくわけて甘さの強い甘果オウトウと、酸味の強い酸果オウトウ、そして中国オウトウと3つの種類があるんだ。甘果オウトウがどのように栽培されるようになったかは、よくわからないのだけれど、酸果オウトウの広がりについては、少しわかっているよ。酸果オウトウのふるさとは小アジアの黒海からイスタンブールにかけての地域なんだ。紀元前65年にローマ軍の将軍ルクルスが、黒海の南沿岸にあったCerasus(ケラサス)という都市に侵攻したときに、その地に生えていたサクランボの実のおいしさによろこんだローマ兵士たちがタネを持ち帰り、それ以来サクランボがローマで栽培されるようになったとされているよ。このサクランボが、やがてヨーロッパ各地へと広がっていったんだ。」また、「アメリカへは17世紀に、東海岸へヨーロッパから導入されたよ。そしておよそ1世紀かけて西海岸に広まっていったんだ。」とあり、「明治時代に日本へもサクランボがやってきたんだ。」との記載がある。
②『めくってみよう!やさいとくだものの絵本図鑑』には、「ふるさとは西アジアの黒海周辺。野生種は紀元前3000年頃には食べられていたと考えられています。栽培は紀元前1世紀頃にはじまり、ローマ帝国気期にヨーロッパ中に広まりました。アメリカには17世紀にイギリスからの移民がもたらしたとされています。日本では、明治時代に北海道ではじめて植えられました。」との記載がある。
③『調べてなるほど!果物のかたち』には、「今、世界中の人が食べているプルヌス・アビウム種(せいようみざくら)のさくらんぼは、ヨーロッパの西部から今のイランのあたりに生えていた野生のさくらんぼを、作物として育てはじめたと考えられているんだ。古代ローマ人がそのさくらんぼをローマに持ち帰ったという文献が残っている。それがヨーロッパ中に伝わって、やがて世界中に広まったんだ。中国にもちがう種類のさくらんぼが古くからあって、日本にも伝わったけれど、今は少ししか栽培していないよ。今みんなが食べているせいようみざくらが日本に伝わったのは、明治時代のはじめなんだ。」との記載がある。
④『くだものノート』には、「生まれはカスピ海、黒海あたり」とあり、「ヨーロッパでは有史以前から栽培されていた。紀元前300年のギリシャでも栽培されていた。アメリカに渡ったのは18世紀ごろ。日本には明治時代。」との記載がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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