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歌合の洲浜
質問内容
回答内容
①『和歌とは何か』
「Ⅱ 行為としての和歌」の「第ニ章 歌合」には「天徳四年内裏歌合」に使用された洲浜について書かれている。「入り組んだ浜辺の形を模した台であり、その上には、箱庭のごとく景物・人物のミニチュアが飾られる。例えば右方から差し出された文台の洲浜には、香木の沈で作られた山があり、鏡を水面とし、銀製の亀が二つ、その甲羅の裏に小さな色紙が入れてあり、なんとそこに、肝腎の歌合の和歌が書いてあるのである。さらに、桜の歌の記された色紙は花の枝に結びつけ、郭公の歌は鳥(もちろん作り物)のくちばしにくわえさせる、という凝った趣向であったらしい。」とある。写真や絵の掲載はない。
②『文学』第7巻3号
「和歌における洲浜と庭園」の中で「民部卿行平歌合」、「内裏菊合」、「京極御息所歌合」、「女四宮歌合」/「賀陽院水閣歌合」の洲浜について書かれている。写真や絵の掲載はない。
③『服飾の中心にある美的感情』
「第四章 日本の文様」に「第一節 洲浜文様の形成ー歌合の「洲浜」に至るまでー」という項目がある。その中の「第二項 歌合の「洲浜」」に仁和三年の歌合や寛平の菊合に使用された「洲浜」の説明が書かれている。写真や絵の掲載はない。
④『MUSEUM』576号
「中世出土漆器にみる風流の意匠」の中に「洲浜と蓬莱」「洲浜の菊」という項目があり、天徳四年内裏歌合、寛平菊合、天暦七年内裏菊合、天禄三年前栽歌合の洲浜について書かれている。写真や絵の掲載はない。
⑤『美術史論叢』第6号
「室かざりの諸相」に「(三)平安時代歌合における洲浜の風流」という項目がある。天徳四年内裏歌合、天暦七年内裏菊合の時のものや『栄花物語』などに出てくる洲浜のデザイン、素材について該当箇所を引用して説明されており、その後の洲浜の変遷についても書かれている。写真や絵の掲載はない。
⑥『平安朝歌合大成10』
「第三章 平安朝歌合の構成」の「第二節 物質的構成」の中に「(イ)清書・文台・文台洲浜・物合洲浜・洲浜覆・打敷」という項目がある。文献に残っている洲浜のデザインが歌合別にまとめられている。写真や絵の掲載はない。
⑦『和歌文学大辞典』
「洲浜」の項目がある。「本来は、洲が出入りしている砂浜のこと。その様子を模した台に海浜の景物や木や花、鳥などを配して景色を表した工芸品で歌合や饗宴の場で使用された。」とある。また、「「銀の鶴二つ立てて、金の山吹に」(内裏歌合天徳四960年)という豪華な洲浜も作られた。」と意匠の一例も紹介されている。写真や絵の掲載はない。
⑧『日本の美術』第429号
「付載 園池遺跡における洲浜・遣水の庭園意匠」の「洲浜」の項に斎宮歴史博物館の洲浜の写真が掲載されている。写真には「図2 州浜台の木に歌を付して出す歌合の台」と説明があり、文中にも「洲浜台は本来、海浜の風景を模した造り物の名称であったが単に山水を模したものをいうようになった。洲浜の形にかたどった台で、これに岩木・花鳥の景物を設け、平安時代には物合(草合・根合・貝合など)や、洲浜台の木に歌を付して出す歌合(延喜十三年亭子院歌合・天禄三年 子内親王前栽歌合)の台(図2)として優雅な遊びに使用された。」と説明されている。
⑨『日本美術のことば案内』
「洲浜」の項目がある。「通常、洲浜形の板に三脚を付けて台となし、その上に山や松、鶴亀などの自然景を造形した作り物のことをいう。洲浜台はしばしば蓬莱山を象ったものとみなされる(後略)」と書かれている。また、「東山遊学図屏風」に洲浜台が描かれていることが紹介されており、絵も掲載されている。
⑩『奇想の図譜』
「Ⅲ「かざり」の奇想」に洲浜の絵が掲載されており、「縁先に浜辺の景色を形どった作り物が置かれている。鎌倉時代の絵巻、「春日権現験記」(模本)巻五より」と解説されている。
⑪『日本美術工芸』497号
「つくりもの考26」に洲浜の絵が掲載されている。「風流の洲浜」の項には文献上の洲浜の大きさやデザインがいくつか紹介されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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