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羽田空港初の旅客機の乗客
質問内容
回答内容
①『羽田空港の歴史』
p.32 昭和6年8月25日の午前7時30分に、最初の旅客機が羽田空港を出発したことが書かれている。その旅客機について、「客室に収まっているのは六千匹の鈴虫と松虫であった。大連の東京カフェーへ送るためであった。」とある。
p.41 当時の旅客運賃に触れ、「東京―大阪三十円、大阪―福岡三十五円、東京―大連百四十五円となっており、国鉄の特急「つばめ」三等が、東京―大阪間六円六銭だったのとくらべると、現在と違い、庶民には縁遠い乗物だったといえる。したがって旅客機はいつもガラガラであった。羽田の東京飛行場開場第一便が松虫と鈴虫だったのは偶然であって、旅客が少ないからそのかわりにと営業係がかけまわって、この仕事を引き受けたものらしい。」とある。
また、「松虫と鈴虫を搭載して出発する一番機」のモノクロ写真が掲載されている。
②「秋虫を載せて 羽田から第一機」 『朝日新聞縮刷版』昭和6年8月26日2面
「この飛行機には大連の東京カフエーへ送る鈴虫、松虫六千匹が積まれて東京の秋の聲を一路大連へと運んで行つた」とある。
③『羽田空港のひみつ』
p.126,127 羽田空港開港時の定期航空の第一便について、「最初の定期便の乗客は、なんと六〇〇〇匹のスズムシとマツムシでした。大連の人たちに「秋の声」を届け、日本の風情を味わってもらおうという粋な贈り物です。そして、この虫たちはまた、誕生したばかりの航空会社にとっては、やっと探した大切な"乗客"でした。」とある。
④『四大空港&ローカル空港の謎』
p.50 東京国際空港(羽田空港)の「記念すべき開港第1便は、中国・大連行きの6人乗り飛行機だった。ただし、乗っていたのは人間ではなく、6000匹もの鈴虫。異国に住む人々に日本の風情を届けようという試みだったとされている。」とある。
⑤『誰もが気になっていた飛行機の大疑問』
p.195 羽田空港開港時について、「この一番機には、ちょっと意外な"乗客"が乗っていた。スズムシとマツムシである。当時、大連では多くの日本人が生活していた。そこで、大連に住む日本人に、秋の気分を味わってもらおうと、スズムシとマツムシ合わせて6000匹が運ばれたのである。大連に到着したスズムシとマツムシは、このアイデアを提案した大連のカフェの経営者のもとへ送られたと、当時の新聞は伝えている。」とある。
p.196 「神戸や大阪から船に乗れば、大連まで4日かかり、費用は65円(現在の約13万円)だったが、飛行機は12時間で行ける代わりに、費用は倍以上の145円(現在の約29万円)もかかった。」とあり、飛行機がまだまだ庶民にとって縁遠い存在であったことが書かれている。「その飛行機にスズムシとマツムシが乗せられたのは、虫を生きたまま大連まで運べるぐらい速いことをアピールするためでもあった。」とある。
⑥『航空路・空港の不思議と謎』
p.194-197 「羽田空港から初めての定期便として運航したのは、「日本航空輸送」という会社の飛行機でした。コックピットには操縦士と機関士の二人が乗り込んだものの、キャビンには一人の人間の姿もなく、6000匹のスズムシとマツムシが、初めての乗客になりました。それは、羽田空港がまだ「東京飛行場」と呼ばれていた1931(昭和6)年8月25日のことです。」とある。
当時の航空運賃は庶民とって高額であったことが解説されており、そこで「飛行会社が営業努力をした結果、大連の「東京カフェー」に6000匹のスズムシとマツムシを送り、大連の人たちに「秋の声」を届けて日本の風情を味わってもらおうという、結果として「粋なはからい」になったとか。」「スズムシもマツムシも、誕生したばかりの新しい航空会社にとっては、やっと探し出した大切な乗客だったのです。」と書かれている。
⑦『なんだこりゃ?知って驚く東京「境界線」の謎』
p.39 「1931(昭和6)年に、東京飛行場が立川から移転して、日本初の国営民間航空専用空港「東京飛行場」が、300mの滑走路が一本だけとはいえ、開港します。最初の一便には人間が乗っておらず、大連のカフェーに送る鈴虫と松虫が6000匹乗せられていました。これは飛行機のチケットが非常に高額だったためで、座席はいつも空席だらけだったそうです。」とある。
⑧『旅の風俗史』
p.133,134 1931年(昭和6年)に羽田に開設された東京飛行場について、「一番機は八月二十五日、大連に向けて離陸。乗客は現地の日本人向けに送られた松虫と鈴虫六千匹だった。」とある。
⑨『絵はがきで見る日本近代』
p.219 「一九三一年(昭和六年)八月 羽田空港が開港」の項目で、「この年の八月二十五日午前七時三十分、東京・羽田に開設された東京飛行場から第一便機が大連に向けて飛び立った。乗客は大連の日本人向けに送られた鈴虫と松虫六千匹だった。」と解説されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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