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池田由之の死
質問内容
回答内容
①『新修倉敷市史 3 近世 上』、②『備作之史料 12 池田出雲(1~3)』には、元和4年(1618)に不慮の死を遂げたとある。
③『備前家老略伝』、④『池田老臣累記』では、①②と同様に不慮の死を遂げたとしているが、余説に神戸平兵衛という池田光政の大小姓が由之を殺害し、自身もすぐ自害したという、と書かれている。
⑤『池田家履歴略記 上巻』、⑥『因伯叢書 第1冊』は、神戸平兵衛が池田由之を恨んで刺殺した事件として、取り上げている。
⑦『備前藩殿様の生活』は、⑤⑥と同様に「池田由之(出羽)刺殺事件」として紹介しており、「元和3年(1617)、光政が播州姫路より因州鳥取に国替になり、翌4年、光政がはじめて、鳥取入国の道中で3月11日夕、播州成条川(現、揖保川)渡場で起こった事件」とあり、詳細がまとめられている。また、「この不祥事件は池田家の大問題となったが急使によって、これを聞いた国老、伊木長門は全家中に禁口令を発し、池田家第二家老池田出羽、下国中成条にて急死とのみ、幕府老中に届け、そのあとは、嫡子、由成(出羽)に継がせて家老職としたのである。」とも書かれている。
⑧『備藩諸家伝補遺 続篇 壹名備前名士録』には、池田由之を刺殺したという神戸平兵衞の人物情報がまとめられている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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