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岡山は”大都会”か
質問内容
回答内容
【平成時代】
・2014年発行『岡山あるある』(資料①)には、「ネットで広まったネタ『大都会岡山』だが、岡山市の人々は本気で岡山市が大都会だと思っている」と紹介されている。
・2012年開会『岡山市議会会議録』(資料②)でも、岡山が「大都会岡山」と呼ばれている現象について市議会議員が紹介している。
・「朝日新聞」(資料③)記事によると、2006年のNHKのインタビュー番組に出演した歌手のアンジェラ・アキさんが「大都会岡山」と表現したことをそのルーツとし、「本人に経緯を尋ねようとしたが連絡がつかなかった」とも説明されている。
【昭和時代】
・1958年発行『大都会東京』(資料④)の「まえがきに代えて」では、「大都会にたいする人びとのみかたは、さまざまです。あるものは、ここに人類の文化の最高の形態をみようとします」と述べ、岡山については「岡山市ぐらいの地方の中都会」と表現している。
【大正時代】
・1924年9月27日付「山陽新報」(資料⑤)には、「大岡山への第一歩」と題し、岡山の都市計画に関する記事が収録されている。その記事中に「大都会」という表現は用いられていないが、「大正と改つて一、二年経つた頃だつた それから頻りに口を開けばグレート岡山と云ふ言葉が市民の口から口へ、耳から耳へと傳へられたものだつた」と記載がある。
【明治時代】
・『旧制高等学校全書』(資料⑥)には、明治32(1899)年に木山精一らが文部大臣に提出した第六高等学校の設置に関する陳情書が掲載されている。その中で「中国山陰山陽両鐵道ノ延長及兒島鐵道ノ敷設ハ遠カラス岡山ヲシテ四通発達ノ大都會タラシムル」と評している。
【江戸時代】
・「東備郡村志」(資料⑦)は、天保8~13(1837-1842)年頃の成立と推定される備前地域の地誌(資料⑨)である。「岡山都下」の項目に「其民富商多く、豊穣繁華、寔に大都會なり」という記述が含まれる。
・「吉備温故秘録」(資料⑧)は、寛政11年~享和年中(1799-1803)の成立と推定される備前地域の地誌(資料⑨)である。邑久郡福岡村の項を見ると、「當村は古へ備前國中の大都會にて、守護職の人も爰に居たりと見へたり(中略)宇喜多直家比迄も、大都會なりしが、岡山城へ宇喜多移りし後、當所の商家多く岡山へ移りしより」という記述が見られる。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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