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山陽新聞にみる森永ヒ素ミルク中毒事件について

質問内容

森永ヒ素ミルク中毒事件が山陽新聞紙上にはじめて記事掲載されたのはいつ頃か。最初の報道からその年の経過を知りたい。

回答内容

・『岡山県大百科事典』(資料①)によると、「森永ヒ素ミルク中毒事件」は「1955年(昭和30)6月ごろから岡山・広島両県を中心に西日本一帯で原因不明の奇病にかかった乳児が続出、岡山大学医学部の調査で森永乳業徳島工場で製造、販売した粉ミルク(MF印ドライミルク)にヒ素が混入、これによる中毒の症状と判明した」事件と説明がある。


・『森永砒素ミルク闘争二十年史』(資料②)巻末の事件年表に、昭和30年8月20日に「初めて新聞報道。『人工栄養児に奇病―岡山県下で多数発生』の見出し(山陽新聞)」とあり。

資料②より、昭和30年8月20日から31日までの山陽新聞における森永ヒ素ミルク中毒事件の関連記事を確認したところ、以下の見出し記事・広告が掲載されている。

・『山陽新聞』(資料③)

 1955年8月20日夕刊第2面.
 「人工栄養児に奇病 岡山県下で多数発生 肝臓がはれ貧血 原因不明 一人は死亡」

 1955年8月24日朝刊第7面.
 「粉乳による中毒か 人口栄養児の奇病 死亡4、20余人が重傷」

 1955年8月24日夕刊第2面.
 「粉乳から『ヒ素』発見 岡大で分析 直ちに販売停止措置 県から森永へ通達」

 1955年8月25日朝刊第6面.
 「森永ドライミルク ご愛用の皆様へ お詫びとお願い」

 1955年8月25日朝刊第7面.
 「広がるドライミルクヒ素禍」

 1955年8月25日夕刊第2面.
 「なお広がる粉乳中毒事件 犠牲者遂に八人岡山県下 一万人を健康診断」

 1955年8月26日朝刊第7面.
 「カルシウム[添加物]からヒ素 人体への影響研究中 徳島県衛生部発表 MF添加物の検査で」
 「MF一缶から致死量(大人)の二割 ML、MCは検出されず」
 「岡山県下患者五六〇人 死者九人」

 1955年8月26日夕刊第2面.
 「こうしてヒ素を捕えた 人道と学術の板挟み」
 「カルシウム死因と思われぬ 国立試験場がきょう結論」
 「人工乳児の無料検診始まる 七百人を突破」

 1955年8月27日朝刊第7面.
 「乳児ヒ素禍漸く二段階へ 全国的に山を越す 死者三十四・患者三千余」ほか

 1955年8月27日夕刊第2面.
 「岡山県緊急衛生委開く ドライミルク事件」ほか

 1955年8月28日朝刊第1面.
 「ドライミルク中毒事件 ついに政治問題化 監督、善後措置に手落ち」

 1955年8月28日朝刊第7面.
 「ヒ素は徳島工場で混入か カルシウムに異常なし」

 1955年8月28日夕刊第1面.
 「生ぬるかった食品衛生法 近く改正を考う 徳島工場の一時閉鎖も」
 「製造過程にヒ素 徳島工場、第二燐酸ソーダから発見」

 1955年8月28日夕刊第2面.
 「ミルク中毒事件の裏話 本社記者座談会 "お母さんの診断"当る」ほか

 1955年8月29日朝刊第7面.
 「ヒ素混入経路ほぼ判る ドライミルク事件 安定剤から検出 徳島県衛生部、森永で発表」

 1955年8月29日夕刊第2面.
 「森永徳島工場を告発 厚生省が決定 食品衛生法違反で」

 1955年8月30日朝刊第1面.
 「徳島工場に営業停止」

 1955年8月30日夕刊第1面.
 「厳正に処分する」

 1955年8月30日夕刊第2面.
 「正式に告発手続 森永徳島工場 徳島県衛生部が発表」

 1955年8月31日朝刊第5面.
 「謹んでお詫び申上げます」

 1955年8月31日夕刊第2面.
 「眼に残るドライミルク中毒禍 学齢期まで検診を」

 1955年9月1日朝刊第7面.
 「『食用品』と注文せず 森永ドライミルク事件」

 1955年9月3日夕刊第2面.
 「森永本社を捜索 ドライミルク事件 重役逮捕に進展か」

 1955年9月4日朝刊第7面.
 「全国的な運動展開へ ドライミルク事件」

 1955年9月9日朝刊第7面.
 「近日中に委員決定 ドライミルク事件」

 1955年9月10日朝刊第9面.
 「ドライミルクの波紋消えず 問題のこす後遺症」

 1955年9月10日夕刊第1面.
 「森永に補償措置要望 ドライミルク事件」

 1955年9月12日夕刊第2面.
 「ヒ素中毒 レントゲンで判明」

 1955年9月21日朝刊第4面.
 「紛乳禍の赤ちゃん続々退院」

 1955年9月26日朝刊第7面.
 「会社側回答に不満 全岡山被災者同盟」

 1955年9月27日夕刊第2面.
 「医学に新たな疑問 ヒ素中毒患者の場合」

 1955年10月4日夕刊第3面.
 「婦人と新聞 ミルク中毒に関心」

 1955年10月8日夕刊第2面.
 「14日に初の審査会 ドライミルク中毒事件」

 1955年10月15日朝刊第7面.
 「四件はヒ素中毒でない ドライミルク事件」

 1955年10月16日朝刊第7面.
 「焼くか海中へ捨てる MF印ミルク 80万個近く処分」

 1955年10月23日朝刊第7面.
 「完全補償を要求 森永ミルク被災者同盟で討議」

 1955年11月4日朝刊第7面.
 「『森永』と直接交渉 ミルク被災者同盟 補償問題で結論」

 1955年11月13日朝刊第7面.
 「ドライミルク中毒 後遺症はあり得る」

 1955年11月18日朝刊第7面.
 「取締法の不備露呈 ヒ酸ソーダ確認」

 1955年12月4日夕刊第3面.
 「無罪譲らぬ森永側 ドライミルク事件」

 1955年12月5日夕刊第2面.
 「ドライミルク事件 第1回公判開く」

 1955年12月11日朝刊第7面.
 「補償額13日に決定 ドライミルク事件」

 1955年12月15日朝刊第10面.
 「今年の五大ニュース 森永ドライミルク事件 もつれる補償問題」

 1955年12月15日夕刊第2面.
 「森永乳業徳島工場再開」

 1955年12月25日夕刊第2面.
 「患児背負ってデモ 森永ミルク被災者同盟」

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情報源(回答)
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①山陽新聞社出版局編『岡山県大百科事典 下 た〜ん』岡山 山陽新聞社,1980,1462p. 参照はp.994-995.
②森永砒素ミルク闘争二十年史編集委員会編 『森永砒素ミルク闘争二十年史』 医事薬業新報社 ,380p. 参照はp.354.
③『山陽新聞』
 1955年8月20日夕刊第2面.
 1955年8月24日朝刊第7面.
 1955年8月24日夕刊第2面.
 1955年8月25日朝刊第6面.
 1955年8月25日朝刊第7面.
 1955年8月25日夕刊第2面.
 1955年8月26日朝刊第7面.
 1955年8月26日夕刊第2面.
 1955年8月27日朝刊第7面.
 1955年8月27日夕刊第2面.
 1955年8月28日朝刊第1面.
 1955年8月28日朝刊第7面.
 1955年8月28日夕刊第1面.
 1955年8月28日夕刊第2面.
 1955年8月29日朝刊第7面.
 1955年8月29日夕刊第2面.
 1955年8月30日朝刊第1面.
 1955年8月30日夕刊第1面.
 1955年8月30日夕刊第2面.
 1955年8月31日朝刊第5面.
 1955年8月31日夕刊第2面.
 1955年9月1日朝刊第7面.
 1955年9月3日夕刊第2面.
 1955年9月4日朝刊第7面.
 1955年9月9日朝刊第7面.
 1955年9月10日朝刊第9面.
 1955年9月10日夕刊第1面.
 1955年9月12日夕刊第2面.
 1955年9月21日朝刊第4面.
 1955年9月26日朝刊第7面.
 1955年9月27日夕刊第2面.
 1955年10月4日夕刊第3面.
 1955年10月8日夕刊第2面.
 1955年10月15日朝刊第7面.
 1955年10月16日朝刊第7面.
 1955年10月23日朝刊第7面.
 1955年11月4日朝刊第7面.
 1955年11月13日朝刊第7面.
 1955年11月18日朝刊第7面.
 1955年12月4日夕刊第3面.
 1955年12月5日夕刊第2面.
 1955年12月11日朝刊第7面.
 1955年12月15日朝刊第10面.
 1955年12月15日夕刊第2面.
 1955年12月25日夕刊第2面.

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