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夏目漱石の岡山滞在地
質問内容
回答内容
①『漱石研究年表』には、明治25年の事項として「七月十一日(月)、岡山に着く。亡くなった次兄直則の妻であった小勝の実家片岡家を訪れ、一ヶ月近く滞在する」とあり「片岡機(岡山市内山下百三十八番地、現・岡山市内山下一丁目)の家である」と解説している。
②『漱石全集 第22巻』には、明治25年7月19日に「岡山市内山下町百三十八番邸片岡方より」正岡子規にあてた書簡が収録されている。
③『岡山の夏目金之助(漱石)』には、明治25年7月23日に漱石が「旭川氾濫による未曾有の大洪水に遭遇」した経緯がふれられている。「片岡家現在地」については「番邸制による家屋表示が番地制による住所表示と対応できないため困難」としながらも漱石の書簡のほか、旧岡山県電信局と岡山県立測候所(「旧・内山下五八番地」)の位置関係等から「現時点での結論は、川崎町五~六に岡山電信局旧局舎、内山下五八番地の南端、旭川沿いに片岡邸という配置が最も自然です」と結び、その跡地を図示する。
④『漱石の岡山人脈をたどる』には、「片岡家は武家屋敷の一角、二の丸にあった、内山下三十八番邸にそのままに居た。幕末の『文久城下図』に描かれている上坂多仲の屋敷がそこ」とある。
⑤『岡山城下町武家屋敷絵図』は、文久3年頃に作成された「備前岡山地理家宅一枚図」を原図とする城下町絵図である。岡山城の内堀と東門に挟まれた付近に「上坂多仲」の屋敷が描かれている。
⑥「池田家所有地内山下字水ノ手近傍丈量図」は、「明治27年調」の内山下水之手筋付近の邸宅の位置関係と各屋敷の図面が描かれた絵図である。「第五号」と書かれた邸宅の借主が「片岡機」であることが巻末から確認できる。
⑦令和4年11月6日「山陽新聞」によれば、漱石が3泊4日滞在した金田村の「旧岸本家には岡山市により漱石と小勝の歴史看板も設けられた」とある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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