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旭川の名称の由来
質問内容
回答内容
①『備前記』は、元禄13~17年(1700-1704)頃に成立した近世地誌(資料②参照)である。
「城下ヲ流ルゝ川ヲ、朝川ト云」の記述が確認できる。
③『旭川史』の「河川名考」には、下記文献④~⑥などを典拠文献として近世期の「朝日川」、「旭川」の呼称が紹介されている。
④『和気絹』は、宝永6年(1709)頃の成立とされる近世地誌(資料②参照)である。
「當國に川二筋あり、おのゝ大河也。東川西川といふ。西川をば朝川とも朝日川とも云ふ。川下汐堺をば甲斐川といふ」の記述が確認できる。
⑤『寸簸の塵』は、安永7年(1778)の成立(資料②参照)とされ、備前の名所、旧跡など「吉備の地理」を解説する。
「簸川は此國岡山の府下を流るゝ川也。大川とも御野川ともいひて、今朝日川ともいふ。簸川は古名なり」、「此頃の世朝日川ともいふ。是は寂蓮法師の『くれて行春の湊はしらねどもかすみに落る宇治の柴舟』といふ歌を、此川宇治郷をながれ、此川に春湊といふ所有るによりて、此所の歌といふ事を云出し、それより山城國宇治の朝日山によりて、爰にも朝日山朝日川といふ名をいひ出せりともいふにや」の記述が確認できる。
⑥「著作年代は寛政頃か」とされる『池田家履歴略記』には、「旭川」表記が記述に用いられている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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