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バナナの叩き売り
質問内容
回答内容
①朝日新聞1999年(平成11年)10月15日朝刊「ばななたたき売り人 消された職名(仕事の風景)」では、1963年(昭和38年)にバナナの輸入が自由化され、価格が下がり、高級感は薄れ、たたき売れない商品となり、「バナナたたき売り人」の姿が消え、大道芸として名残をとどめている、とある。なお、「消された職名(仕事の風景)」は連載記事で、連載の2年前1997年(平成9年)の「日本標準職業分類」の改訂で、就業者が少ない、増加が見込めないなどの理由で職名が消された「幇間」「踏切警手」「タイヤ修理工」「バナナたたき売り人」「洋傘製造工」を取材している。
②『日本標準職業分類 分類項目名、説明及び内容例示 昭和61年6月改訂』では「356 商品訪問・移動販売従事者」の例示に「バナナたたき売り人」があるが、③『同 平成9年12月改定』にはないことを確認した。
④『職業名索引 平成11年改訂版』では「露店たたき売人」があるが、⑤『同 第4回改訂』(2011年6月)にはない。
⑥『これがホントのバナちゃん節』には、叩き売りの発祥と盛衰として、「明治41年に貿易港である門司にバナナの叩き売りが発祥したのは紛れもないこと」とし、その後、日中戦争により昭和14年にバナナの輸送が途絶え自然消滅し、昭和30年代になるとバナナの輸入が再開され、熊本や佐賀では即座に復活したが、門司では復活しなかったこと、門司のバナナの叩き売りは滅びたままだったが、昭和51年に地元有志の発案により、保存会が結成されたことなどが書かれている。なお、著者の北園氏は昭和50年(1975)に「佐賀流バナナ競り唄保存会」を発足させている。
⑦読売新聞1968年(昭和43年)10月27日朝刊「タレントうらおもて バナナ屋泣かせた渥美清の勉強熱心」によると、フジテレビ「男はつらいよ」に主演している俳優渥美清が役作りのためにバナナの叩き売りの見学に神楽坂に出かけたとある。
⑧『TEKIYA香具師』に露店バナナ売りの写真がある。撮影年の記載はないが、プロフィールによると渡辺眸氏が香具師の写真を発表したのは1968年の卒業制作展とあり、風景などからその頃撮影したものと思われる。
⑨読売新聞1982年(昭和57年)12月14日朝刊「気流 ユニークなたたき売り受賞」によると、昭和57年度の芸術祭賞をバナナのたたき売りなど消えつつある大道芸を披露した坂野比呂志さんが受賞したとある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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