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楠本イネの医術修行記録
質問内容
回答内容
①『絵図で歩く岡山城下町』には、「下之町」を含む「文久城下図」が示され、「シーボルトの弟子で蘭学者の石井宗謙が医者を開業しており、『おらんだおいね』と呼ばれたシーボルトの娘楠本イネが産科を学んでいた」とある。
②『岡山蘭学の群像 1』には、楠本イネ自筆の「履歴明細書」(シーボルト記念館蔵)の一部が写真収録されている。その中に「弘化二年二月ヨリ嘉永四年九月マテ都合六年八ヶ月備前岡山下ノ町医師石井宗軒ニ従ヒ産科医術修行仕候」という記述が確認できる。
③「オランダおいね医術修行の地 日本初の西洋産科女医」では、「石井宗謙居宅跡」としてその修業地が地図中に示されている。
④「オランダおいねと岡山」には、「宗謙とおいねが住んだ場所は現在のどこかとなると、当時の下之町地図も正確なものは残っていないし、町内人名簿も見当たらないので今一つはっきりしない」とある。
⑤「シーボルトの門人 石井宗謙」には、「岡山における宗謙の診療やおいねの修学ぶりについては記録を欠いており、ほとんど明らかでない」ともある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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