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内裏雛の並べ方
質問内容
回答内容
①『昔の子どものくらし事典』の「ひな祭り」の項には、「向かって左側に男びな、右側に女びな。本来は、お内裏さまから見て左(向かって右)が上位なので、明治時代までは、左右が逆の並びでしたが、大正天皇の即位の礼で、西洋の王室にならい、天皇の左に皇后が立ったことを機に、関東地方を中心にこの配置になりました。」と記載されている。
②『日本の年中行事百科2』のコラム「男雛と女雛、どっちに座る?」には、「日本では左側が上位、右側が下位と考えられており、そのうえ、かたちのうえでは男性が女性より重んじられていたからなのだ。(中略)ところが、ヨーロッパでは逆に男性が右に、女性が左に並ぶならわしだった。(中略)日本では大正天皇が即位されたとき、洋装でヨーロッパ式に天皇が右、皇后が左に並んだため、御真影(天皇・皇后の写真)にもその形が残された。これ以後は、一般の人もそれにならうようになり、内裏雛も左側に女雛が飾られるようになった」と書かれている。
③『冠婚葬祭ってな〜に?』の「関東と関西で異なる雛人形の飾り方」の項には、「古くから『君子は南面し、左手・東側が上位(陽射しを東より受ける)』といわれてきました。向かって右側が男雛でした。ところが昭和三年の昭和天皇御大典の際、天皇が西洋にならって向かって左側に立たれたため、東京の雛人形組合が男雛を向かって左に飾ることを決め、全国的に広まりました。」と書かれている。
④『年中行事』の「ひなまつり」の項には、「内裏びなは一般的に、男びなを向かって左側に、女びなを向かって右側にかざりますが、もともとは逆にかざっていました。日本では左側が上位、右側が下位と考えられていたので、上位には男性、下位には女性が座るようになっていました。しかし、昭和天皇が即位されたときに、西洋方式で天皇が向かって左側に、皇后が向かって右側にならんだ写真が報道されたため、一般の人もそれにならうようになり、内裏びなも同じようにかざられるようになったといわれています。」と書かれている。
⑤『心をそだてる子ども歳時記12か月』の「三月のモノしり絵巻」の項には、「向かって左が男びな、右が女びなで、一対で内裏びなといいます。昔は左右反対の並び方でしたが、昭和天皇が即位したときにならって、今のような並び方になりました。」と書かれている。
⑥『かこさとしこどもの行事しぜんと生活 3月のまき』の「ひなまつり・上巳の節句(3月3日)」の項には、内裏びなの説明として「むかし、日本では右より左の方が位がたかく、男びなを左(向かって右)におきましたが、西洋では男性が右側であるため、近代になり、男びなを右(向かって左)におく家庭がおおくなりました。どちらでもかまいません」と記載されている。
上記のように、左右が入れ替わった時期については、①、②のように大正天皇即位の時とする説と、③~⑤のように昭和天皇即位の時とする説の二つがあった。⑥は近代とのみありどちらかはっきりとは言及していない。
なお、⑦『12か月の行事えほん』、⑧『きせつと行事を楽しむずかん春』、⑨『にっぽんまるごと!ちず・行事ずかん』、⑩『3月のえほん』、⑪『伝統行事がわかる図鑑1』には、かつては男びなを右(向かって左)に、女びなを左(向かって右)に並べるのが一般的だったが、現在は逆が多いことや、地方によって違いがあることなどが書かれているが、配置が入れ替わった時期についての言及はない。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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