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宇喜多直家が幼少期を過ごした寺

質問内容

宇喜多直家が幼少期を過ごした寺がどのような寺だったか知りたい。

回答内容

①『宇喜多直家・秀家』には、「直家は、下笠加村の大楽院という尼寺に預けられ、伯母に養育されたと伝えている。」とある。

②『備前藩宇喜多・小早川・池田史談』には、「八郎(直家)は禅定の娘であった継母との折り合いが悪く、邑久郡下笠加村の大楽院という尼寺にいた叔母に預けられ、その手きびしい教育で艱難辛苦に耐えた。」とある。

③『邑久町史 通史編』には、「下笠加村市場に、熊野修験の流れを汲む山伏に大楽院と清楽院があり、大楽院の寺跡に『御前庵主宗永上人』の墓と、両院の鎮守の荒神が祀られているが、荒神の祭神は「松業姫」である。」とある。
「写真31 旧大楽院(邑久町下笠加)」が掲載されており、大楽院の歴史が説明されている。

④『邑久郡史 下巻』には、大楽院について掲載があり、「笠加村下笠加字市場にあり、眞言宗京都醍醐三寶院末にして、本尊火除不動明王は、宗永上人が紀伊熊野よりの將來と傳う。」などとある。

⑤『邑久町ふるさと紀行』には、「笠加熊野比丘尼寺(庵)跡」の紹介があり、「同寺は岡山城主で中国地方屈指の戦国大名となった、宇喜多直家が幼少のころ、叔母とともに数年間過ごした寺でもある。」とあり、「比丘尼を支配した山伏の寺は、大楽院・清楽院・得生院の3院であった。」とある。「松業姫の墓碑」「宗永上人の墓碑」の写真がそれぞれ掲載されている。
「ふるさと紀行案内図」に地図上の位置が示されている。

⑥『吉備群書集成 第7輯  吉備温故秘録  元之巻(巻1-26)』には、「下笠賀村」の項目に「當山方山伏、大樂院、淸樂院、得正院 當時一軒株潰れ。」とある。

⑦『宇喜多家史談会会報』第3号の「『大楽院』について」(市川俊介)には、「大楽院(邑久郡邑久町下笠加三四二)は、戦国時代の智将宇喜多直家(幼名八郎)が幼少の頃を過ごした尼寺である。」とあり、八郎の実母が「嫡男八郎を実妹の院主をしていた大楽院に預けることにした」とある。
「当時、この大楽院は、この地方に多く散在していた熊野系比丘尼寺を支配する大寺院であったようである。」とあり、大楽院の歴史や遺構が説明されている。大楽院の写真も掲載されている。

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宇喜多直家が幼少期を過ごした寺

(ウキタナオイエガヨウショウキオスゴシタテラ)

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岡山県立図書館

(オカヤマケンリツトショカン)

情報源(回答)
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①渡辺大門『宇喜多直家・秀家』京都 ミネルヴァ書房,2011,313p. 参照はp.75.
②荒木祐臣『備前藩宇喜多・小早川・池田史談』岡山 日本文教出版,1976,219p. 参照はp.11.
③邑久町史編纂委員会『邑久町史 通史編』瀬戸内 瀬戸内市,2009,879p. 参照はp.468-471.
④小林久磨雄『邑久郡史 下巻』邑久町(邑久郡) 邑久郡史刊行会,1954,953p. 参照はp.433-435.
⑤邑久町郷土史クラブ『邑久町ふるさと紀行』邑久町 邑久町郷土史クラブ,2003,32p. 参照はp.2-3,22.
⑥吉備群書集成刊行会『吉備群書集成 第7輯 吉備温故秘録 元之巻(巻1-26)』岡山 吉備群書集成編纂所,1977,580p. 参照はp.153.
⑦市川俊介「『大楽院』について」『宇喜多家史談会会報』第3号,200207,p.8-9.

場所
場所

邑久郡邑久町下笠加342

NDC分類
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217.5:岡山県

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