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キャバレー「富士」
質問内容
回答内容
①『岡山県展望 1969年版』には、「株式会社富士は、三十三年八月一日、映画館だった日劇からキャバレーに転身。三百人を収容できる社交場は、県下随一の広大な施設として話題をさらい、連日、盛況の状態が続いた」とある。
②「総合レジャーセンター富士会館オープン」では、昭和44年7月1日に竣工した「総合レジャーセンター“富士会館”」が雑誌の巻頭に特集されている。「キャバレー富士の大ホール」の館内写真のほか、経営者の熊谷松市氏の経歴も紹介されている。
③『岡山市住宅案内図 昭和33年度』には、柳川交差点付近の野田屋町に「キャバレー富士」の立地が確認できる。
④昭和58年刊『ゼンリンの住宅地図 岡山市 中心部 No.1 2号線より北』でも、柳川交差点付近の野田屋町に「キャバレー富士」の立地が確認できる。
⑤昭和59年刊『ゼンリンの住宅地図 岡山市 中心部 [1985]No.1 旧2号線より北』には、柳川交差点付近の野田屋町の「キャバレー富士」の記載が確認できない。
⑥「おかやまのネオン川 キャバレー『富士』」では、「『亜細亜』に続いて岡山では二番目に古い」キャバレーと紹介されている。
⑦『岡山商工名鑑 1957年版』には、昭和32年時点で「亜細亜」ほか、多数のキャバレー店名が確認できる。
⑧『レジャー岡山』では、「夜の岡山案内」として「七月新装開店前に下之町で仮営業中」とある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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