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ナトコ映画
質問内容
回答内容
①『親米日本の構築 アメリカの対日情報・教育政策と日本占領』
p.149-150
CIE映画リストについて解説されている。
p.295-307
「CIE映画全リスト」が掲載されている。
②『占領する眼・占領する声 CIE/USIS映画とVOAラジオ』
p.278
「CIE映画上映の主催者と上映会場」について、「1949年の日本側の資料『社会教育資料』の記載によれば、主催団体の38%が市町村であったとし、それに続いて、公民館、視聴覚教育委員会、青年会、婦人会、その他があったとする。」「学校がおおよそ70~60%で、公民館、寺院、市町村役場、一般住宅、都市自体そのもの、その他となっている。」とある。
③『教育時報』第2巻第5号
p.26-27
「視聴覚ライブラリー」において、「毎月第1月曜午後2時より2時間、試写と討論会、毎週水曜日午後0時20分、午後3時より各40分2回」行われていたことがわかる。「視聴覚ライブラリー」で保管されているCIE映画133巻のタイトルも紹介されている。
④『[岡山県]教育要覧 1950』
p.238
「ナトコ25台、ベセラー幻灯機14台」の配置図が掲載されている。「県下を十一のブロックに分け、両機各一台を長期貸与している」と解説されている。津山市は、「ナトコ映写機1台、ベセラー幻灯機1台」が配置されていたことがわかる。
p.241
昭和25年4月~9月における「11ブロック映画会実績一覧」が掲載されている。「津山市・苫田・久米」は、「1,103回」上映されていたことがわかる。
p.247
CIE映画を利用した団体について、「青年団27%、PTA26%、公民館23%、学校13%、その他11%」であったことがわかる。
⑤『岡山県社会教育の現状 昭和28年度』
p.112
「視聴覚ライブラリー津山本館」について、「数年来作州1市5郡の関係者の熱望にもかかわらず、財政難の逼迫の折柄、県費による設置が認められるに至らなかった。」「正式に設置は認められないまでも、せめて県ライブラリー保管の教具教材を津山地区に移しては」と、「USISフィルムとスクリーン、映写機、戸棚等の一部を昭和28年5月25日に津山教育事務所に移し、1市5郡の関係者、特に津山教育事務所の職員の奉仕により貸出を実施している」と解説がある。
p.109
「映写機・ベセラー幻灯機・スクリーン配置表」から、津山分館は「ナトコ映写機1台、バルハウェル映写機1台、スクリーン5台」が配置されていたことがわかる。
p.110
昭和29年3月31日現在の「USISフィルム在庫表」が掲載されている。津山分館は16ミリフィルムを「262本・495巻」所有していたことがわかる。「昭和28年度USISフィルム使用回数表」に、津山分館の昭和28年6月から昭和29年3月までのデータが掲載されている。
⑥昭和24年2月19日の『津山朝日新聞』には「待望の公会堂 建築進む」と題して「総工費215万円で津山建築工業会社の手で着工した津山公民館(公会堂復活)は16日一部の上棟を終りて博覧会開催の4月1日までにはゼヒ仕上げるよう奮発している」「二階は会議室、事務室、修養室、図書室、映写室とし・・・」とあり、新しい公会堂の中に映写室を設置する予定であることが分かる。
⑦昭和24年3月27日『作州日報』には、「津山市へ訪れる ピクチユラマ映写会 極東へたった一本の貴重資料」と題して「ピクチユラマ幻燈映写会が4月15日午前9時から午後8時まで6回に分け第一小学校講堂で開かれる」という予告が掲載されている。
⑧『岡山社会教育通信』第8号
p.1
「フィルムライブラリー 在庫案内 CIE映画」として、岡山県教育委員会事務局が所蔵している「CIE映画」のタイトルが紹介されている。
⑨『岡山社会教育通信』第9号
p.1
「都市映画教育実績表(移動班上映数)」(昭和23年8月~昭和24年2月まで)が掲載されている。
⑩『岡山社会教育通信』第10号
p.2
「岡山県フィルムライブラリー CIE映画案内」として、所蔵するCIE映画のタイトルと簡単な内容が紹介されている。
⑪『岡山社会教育通信』第11号
付録p.1
「岡山県フィルムライブラリー 目録」「ナトコ映写機使用実績 昭和23年8月~昭和24年7月」「ナトコ映写機使用実績(ブロック別)」が掲載されている。
⑫『岡山社会教育通信』第12号
p.1
「フィルムライブラリー便り 新着フィルム 前号所載以後入庫分 CIE映画」としてタイトルが紹介されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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