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「雨晴海岸」の名前の由来
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回答内容
①『角川日本地名大辞典 16 富山県』の「あまはらしかいがん 雨晴海岸」の項には「富山湾の一部で、高岡市岩崎付近から氷見市島尾に至る白砂青松の海岸」とある。名前の由来としては「源義経一行が奥州落ちの途中にわか雨にあい、岩下で雨が晴れるのを待ったという故事に由来する」と記述がある。
②『日本歴史地名大系 16 富山県の地名』の「富山湾」の項には、「渋谿埼(雨晴海岸)」とある。また、名前の由来として「源義経が奥州落ちのとき海岸の岩陰に雨宿りしたという伝説から生じた」と記述がある。
③『越中富山地名伝承論』に「第四編 富山の地名雑考」には「第四章 雨晴(あまはらし)海岸と義経伝説」の項がある。「雨晴の名は、文治三年(一一八七)年源義経一行が鎌倉幕府の厳しい追討を逃れ、奥州(岩手県)にある藤原氏を頼って落ちのびる途中、この海岸に差しかかったとき、おりしもにわか雨にあい、主従一行は大きな岩下の洞穴に入ってしばらく雨の晴れ上がるのを待ったという伝説に由来する。語源的にはアメハラシ(雨晴らし)がアマハラシ(雨晴らし)に転訛したもの」と記述がある。続けて、「義経一行が雨を晴らした所」として「雨晴海岸と義経岩」の写真が掲載されている。また、義経岩に関する記述がある資料として「越中志徴」の文章が引用されている。
④『高岡市史 上巻』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能であり、「第四編 武家時代」の「第一章 武家政治」に「一 源 義経」の項がある。その中の「義経雨晴」には、「義経雨晴岩」の写真が掲載されており、資料③と同じく「越中志徴」の記述が引用されている。
⑤『越中志徴』は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能である。「巻三 射水部(一)」に「雨睛岩」の項があり、「むかし義經奥州下りの時此磯を通られしに、折ふし虛雨せしに、供奉の人々諸共に此岩の下に入りて、雨ばらしせられたるよし云傳へり」といった記述がある。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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