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ルワンダ虐殺を煽動したラジオ放送
質問内容
回答内容
①『隣人が殺人者に変わる時 加害者編』の「九 決行の決断」では、「ルワンダのジェノサイドは、(中略)その独自の歴史的な現実にも根差している。」として、1962年のルワンダ独立宣言以降の情勢に触れ、「一九九一年、ツチの反乱軍が攻撃の手を強め、勢力を伸ばしている間、ルワンダの政治集会での演説、特にハビャリマナ大統領の政党や(中略)集会での演説では、ツチに対しての脅迫ばかりが行われていた。」と述べた後、「ラジオルワンダとラジオミルコリンという人気のラジオ局の放送スタジオ内で、ツチは『ゴキブリ』と呼ばれていた。特によく知られていた二人のアナウンサーはシモン・ビキンディとカンタノ・ハビマナだった。ユーモラスな描写や歌を使って、おおっぴらにツチの虐殺を呼びかけた。」と記載されている。また、ルワンダで大量虐殺されたツチ族の人が当時のことを振り返った話の中で、「彼らは騒々しくすべてのゴキブリを大虐殺するように騒いでいましたが、(中略)私たちツチにとっても、そういった気の利いた言葉は、楽しいものでした。フツのみんなでツチを全滅させようとせきたてる歌などについても、(中略)私たちはもうそんなことには慣れてしまって、恐ろしい脅しには耳を傾けなくなっていたのです」と当時の状況が語られている。さらに、「十五 密室」では、ある種の密室状態となったニャマタ地区における虐殺の様子が記載されており、ルワンダ在住の外国人をニャマタから避難させた後のこととして、「数時間後、最初の虐殺が始まった。ラジオ・ルワンダやラジオ・ミルコリンが声高に鳴り響く状況で、(中略)ラジオのアナウンサーは生放送のスピーチで活気をつけ、殺戮の指示を出し(中略)滑稽な決まり文句を繰り返した。」と記載されている。
②『ジェノサイドの丘』では、1993年に「千の丘の自由ラジオ(RTLM)がジェノサイドのプロパガンダ専門局としてキガリから放送をはじめた」ことに触れた後、RTLMが「ラジオが普及したルワンダでは実質的にルワンダじゅうどこでも聴ける放送局になり、けたたましい演説とフツ至上主義者のポップ・スター、シモン・ビキンディらの曲でたちまち人気を得た」として、ビキンディのもっとも有名な曲とされる『こんなフツ族は嫌い』の歌詞の一部を掲載している。また、1994年4月にルワンダで虐殺が始まった当時の状況に触れ、「ラジオのアナウンサーは聴取者に向けて女子供も容赦するなと命じつづけた。」と記載されている。
③『ルワンダ・ワンダフル!』の「4 ブホロブホロ!」では、「ジェノサイドとメディア・マインドコントロール」の中で、「1994年、この国では、ラジオの音楽番組が無差別殺人=ジェノサイドを誘導した。人々は差別を肯定する歌を歌い、(中略)冷静に考えれば不可能な行動を取ってしまった。」と記載されている。また「ラジオの声に陽動されて」の中で、「ルワンダで最もポピュラーなメディアは疑いなくラジオです。」と記して、「ベルギーやフランスの影響下では、徹底した植民地政策のために、ルワンダの識字率は一貫して低く抑えられてきた。文字を読めない、書けない人が情報を得る手段はもっぱらラジオなどの音声メディアだった。」と記した後、「政府が計画的に作り出さなければならないのは、新聞を読み、社会的な判断ができる中流市民なのです」と記載されている。さらに、「国民の多数を占める、文字を読めない、(中略)人々が、ジェノサイドのときラジオでコントロールされた。だからこそ私たちは健全な良識を持った市民層を育てなければならない。」と記載されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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