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津山文化センター
質問内容
回答内容
①『イクシラ』86号には「津山文化センター開館50周年 建築編」という特集記事があり、冒頭で「津山文化センターは、(中略)建築家・川島甲士の手によって設計」されたことや、「寺院など日本の伝統的な木造建築の幹の荷重を支えてきた斗栱(ときょう)と呼ばれる架構技術に着目」して設計されたこと、「鶴山城址に隣接という立地」等について記されている。
続いて、建設のきっかけが記された後、「具体的な実現への取組は昭和33年に動き始めました。津山市議会で建設が議決されたのです。当時の仮称は、『美作産業文化会館』でした。」「新会館建設にあたり、『この会館は、音楽、演劇、講演、講座その他各種の集会と催しなど多目的に利用できる市民のための文化施設です』という看板が掲げられました。」として、総工費等に触れた後、昭和39年10月14日に起工式が行われ、昭和40年12月末に「『津山文化会館』(当時の名称)」が完成したと記されている。
②『イクシラ』88号は「津山文化センター開館50周年記念号」となっており、「津山文化センター開館50周年 座談会」、③「開館がもたらしたもの…」の二つの記事にも、上記①の資料と同様の内容が記されている。②の記事には、上記①で紹介されている看板と同じ文言が記された「美作産業文化会館新築工事」の看板の写真が掲載されており、キャプションに「当時の建築PR看板。仮称は、美作産業文化会館だった」と記されている。
④『山陽新聞 津山市民版』昭和41年1月8日の「津山文化センターその素顔と生みの鼓動④」には、「昭和三十二年五月十五日、美作産業文化会館建設期成会が結成された。」「『本会は(中略)実際生活に即する美作産業文化会館の建設を促進する』-期成会の規程第二条は会館が市民に密着したものであることを強調した。」と記されている。
また、昭和33年1月10日の第1回臨時市議会で「市長提案の議案第一号『美作産業文化会館建設基本計画』が承認された」ことが記されている。
建物の構造については、「ドーム型の本館と別館をつないだ最初の完成予想図」を刷り込んだパンフレットの写真が掲載されている。
⑤『山陽新聞 津山市民版』昭和41年1月9日の「津山文化センターその素顔と生みの鼓動⑤」には、「ドーム型の基本計画は本町二丁目出身の東京・清水組の井口達三氏がデザインしたもので、旧津高山下校舎跡の一角に建設する案があった」と記されている。
⑥『山陽新聞 津山市民版』昭和41年1月14日の「津山文化センターその素顔と生みの鼓動⑨」では、建設予定地について「ドーム型の会館敷き地に白羽の矢を立てた山下校舎跡地は都市計画の区画整理が始まっていた。それに(中略)体育館のような建て物を町のど真ん中に置くという考えは古く」なったこと等が記されている。
また、日建設計工務所に依頼して昭和37年12月にできた新しい基本設計は、建物の構造ががらりと変わり「地下一階、地上三階、鉄筋コンクリートの(中略)本格的な劇場形式だった。」と記されている。
⑦『山陽新聞 津山市民版』昭和41年1月16日の「津山文化センターその素顔と生みの鼓動⑪」では、文化センターの実施設計を選ぶ方法について「数人から設計案を募集し最優秀を決める指名設計競技」をとったとし、昭和38年11月4日に「日建・河合・川島の三設計事務所の実施設計案」ができたと記されている。その中から川島甲士建築設計事務所の川島甲士が指名されたこと、川島氏の設計案は「斗きょう(栱)」をヒントにした逆三角形の構造がポイントとなっていることなどが記されている。
⑧『津山市議会50年のあゆみ』には、「美作産業文化会館建設推進に関する意見書」(昭和32年9月30日)が掲載されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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