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木下利玄の歌碑の建立年月日
質問内容
回答内容
①『高梁川 第66号』に掲載されている「木下利玄の書簡を読む」には、「近水園内には利玄十三回忌にあたる昭和十二年(一九三七)、歌碑が建立された」と書かれている。また、歌碑の写真と「木下利玄歌碑裏面の佐佐木信綱の文章」が掲載されており、末尾に「昭和十二年一月」とある。
②『おかやま文学紀行』の「曼珠沙華と牡丹と 木下利玄と岡山市北区足守」では、「近水園内の木下利玄の歌碑」の写真が掲載されており、歌碑については「昭和十二年一月に建てられた」と書かれている。
③『最上教報 第722号』の「岡山の文学碑2」では、「木下利玄歌碑(岡山市北区足守)」が紹介されており、近水園内の「園池の内には、(中略)鶴島・亀島の二つの島がありますが、この鶴島に昭和十二年(一九三七)一月、木下利玄歌碑が建立されました」とある。
④『きび野;岡山県郷土文化財団会報 第45号』の「シリーズ岡山の文学碑6」では、「近水園の鶴島に建つ木下利玄の歌碑」が紹介されており、「この歌碑は、昭和十二年三月十五日利玄の十三回忌にあたり、旧藩士の集い「表衷会」の手により建立されたもの」と書かれている。
⑤昭和12年4月12日夕刊の『合同新聞』には、「故木下利玄子 歌碑除幕式 櫻爛漫の近水公園へ」の見出しの記事があり、「旧備中足守藩の家臣で組織している表衷会が建設中であった歌人、故木下利玄子爵の歌碑が竣工したので、桜らんまんの十一日除幕式を執行した」とある。
⑥『温古 第205号』の「木下利玄の歌碑」では、「昭和十二年四月十一日、岡山県吉備郡足守町近水公園に(中略)故木下利玄子爵の歌碑が建てられた」とある。
⑦『吉備路をめぐる文学のふるさと』の「30 木下利玄」では、「碑陰に佐々木信綱の撰文が記され、『昭和十二年一月』に建立されたとある」と書かれている。また、歌碑のカラー写真が掲載されている。
回答館・回答団体
岡山県立図書館
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