かいとうないよう
久米北条郡中垪和谷村(現久米郡美咲町)出身の新聞人・実業家。1833(天保4)年4月8日(28日?)~1905(明治38)年6月7日。1852(嘉永5)年、江戸に出て津山藩儒昌谷精渓ついで林図書頭に学ぶ。1863(文久3)年、眼病を患い治療のため横浜のドクトル・ヘボンを訪ね治療を受けた。ちょうどこの時ヘボンが和英辞典を編纂していたので、これを助け『和英語林集成』を完成させる。1864(元治元)年、ジョセフ・ヒコらと共に我が国最初の新聞「海外新聞」を創刊。その後、「東京日日新聞」などで記者、編集者として活躍する。また、ヘボン処方の目薬「精錡水」の製造・販売や日中貿易など実業家としても名を成した。主な著作に『清国地誌』全3巻(1882年)、『富国策』全3巻(1881年)、『精錡水功験書』(楽善堂 1875年)がある。画家岸田劉生は吟香の四男である。出身地の久米郡美咲町に岸田吟香記念館が、同町旭川ダムのほとりの栃原公園内に記念碑がある。
かいとうかん・かいとうだんたい
岡山県立図書館