レファレンスデータベース > シャウディンとホフマンの梅毒病原体発見についてシャウディンとホフマンの梅毒病原体発見についてしつもんないようドイツの細菌学者フリッツ・シャウデン(シャウディン)とエリッツ・ホフマンについて調べている。医学史の年表などによると、1905年シャウデンとホフマンが梅毒の病原体(スピロヘータ・バリーダ)を発見したことになっているが、共同研究により発見したのか。かいとうないよう資料①の項目「梅毒の病原体スピロヘータ・パリーダの発見」には、「帝立保健所は動物学者のフリッツ・シャウディンに、シュルツェ教授の研究報告が正しいかどうか検査するように指示した。」、(シャウディンは)「皮膚病学者ラサールの診療所に泊まり込んだ助手のホフマンとともに、彼は梅毒患者たちの細胞組織を検査し、やがて驚くべき発見をしたのである。」、「まちがいないと確信したシャウディンは、助手のホフマンをともなって、一九〇五年五月二十四日、ベルリンの医学会で自分の研究結果を発表した。」という記述がある。資料②の項目「D.細菌性疾患:梅毒」に、「臨床医Eric Hoffmnn(ホフマン)とともに働いていたFritz Schaudinn(シャウディン)は、梅毒性の下疳からの浸出液中にらせん状の菌を発見した」という記述がある。資料③には、フリッツ・リヒアルト・シャウディン、パウル・エーリッヒ・ホフマンについてそれぞれ記述があり、シャウディンの部分には「ホフマンとともに、(中略)発見した。」、ホフマンの部分には「シャウディンと共同で梅毒の病原微生物を発見した」とる。資料④には、「ベルリンの公衆衛生局はそこでその検証を動物学者シャウディンと梅毒学者ホフマン、それから二人の細菌学者に依頼した。」、「三月三日になるとシャウディンが梅毒疹の採取見本のなかで「動いている極めて調べにくい極微なスピロヘータ」を観察する。」、「数日後シャウディンとホフマンが梅毒リンパ節、下疳、梅毒丘疹および薔薇疹発生数日前の脾臓の血液中に同じスピロヘータを再発見した。」という記述がある。かいとうかん・かいとうだんたい岡山県立図書館カテゴリじょうほうレファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 岡山県立図書館レファレンスデータベース > レファレンス事例データ > 岡山県立図書館メタデータレファレンスじれいタイトルレファレンスじれいタイトルシャウディンとホフマンの梅毒病原体発見について(シャウディントホフマンのバイドクビョウゲンタイハッケンニツイテ)かいとうしたとしょかんまたはだんたいかいとうしたとしょかんまたはだんたい岡山県立図書館(オカヤマケンリツトショカン)じょうほうげん(かいとう)じょうほうげん(かいとう)資料① ビルギット・アダム著・瀬野文教訳『王様も文豪もみな苦しんだ性病の世界史』草思社,2003,253p.参照はp.97-99.資料② レイモンドW.ベック著・嶋田甚五郎・中島秀喜監訳『科学史ライブラリー 微生物学の歴史Ⅰ』朝倉書店,2004,249p.参照はp.190.資料③ シンガー著・アンダーウッド著・酒井シヅ・深瀬泰旦訳『医学の歴史3』朝倉書店,1986,630p.参照はp.395.資料④クロード・ケテル著・寺田光徳訳『梅毒の歴史』藤原書店,1996,472p.参照はp.210-211.NDCぶんるいNDCぶんるい490.2498.6りようたいしょうしゃりようたいしょうしゃ全年齢かいとうびかいとうび2010-08-01こうかいびこうかいび2011-02-16このページのURLこのページのURLhttp://digioka.libnet.pref.okayama.jp/detail-jp_c/id/ref/M2009010816321672592かんれんするコンテンツきょうどじょうほうネットワークつづきはこちらレファレンスデータベースつづきはこちら