かいとうないよう
資料①『山陽力士伝』によると,「谷の音亀吉」は岡山県の芳井町出身の力士。明治33年6月に入幕,明治36年5月には西前頭2枚目まで番付を上げている。明治34年5月からは「御熊山」と改名し,最終場所は明治38年1月(ただし,番付は明治38年6月)である。 資料②『大相撲人物大事典』によると,明治・大正時代の日本の相撲界は,東京と大阪と京都にそれぞれ独立した運営組織が存在し,昭和2年に合併するまでは別々に興行を行っていた。大阪相撲の力士の一覧によると,「谷の音」は時津風部屋に所属した力士で,最終場所は明治38年6月となっている。明治33年6月の大阪相撲の番付に,初入幕した「谷の音亀吉」の名が見え,明治34年5月には「谷の音改め御熊山」という紹介もみられる。 なお、同時期、東京相撲にも「谷ノ音」という力士が存在している。島根県出身の「谷ノ音喜市」は、元は大阪相撲の朝日山部屋に所属,明治20年1月に東京相撲へ移ると明治23年に入幕、明治27年には関脇に昇進。常に前頭上位から三役で活躍した。最終場所は明治41年1月場所。引退後,「高島」を襲名している。 資料③『芳井の文化財 第二集 石碑録』には「三熊山関之碑」が掲載されているが,この碑は「御熊山(谷の音)」のことを顕彰していると思われる。
かいとうかん・かいとうだんたい
岡山県立図書館