かいとうないよう
長瀬鳳輔は、岡山市出身の洋学者・教育者。1865(慶応元)年10月3日~1926(大正15)年7月7日。蘭学者の長瀬時衡の次男。東京外国語学校を卒業後大学予備門に進んだが,翌年渡米しジョンスホプキンス大学に入学。卒業後,ドイツ・ベルリン大学へ入り欧州近世史を学び,1894(明治27)年ドクトルの学位を得て帰国。山口高等学校教授に任ぜられるが,二年後には陸軍大学校教授,さらに東亜同文書院校長となり7年間中国に駐在した。その後,参謀本部の命により中央アジアやトルコを精査し,帰国後は参謀本部に編修官として在官した。1907(大正6)年柴田徳次郎が私塾国士舘を開設した際に学長に就任。2年後,国士舘が財団法人に認可されると理事となり,1912(大正11)年に参謀本部を辞任後,1914(大正13)年からは国士舘中学校の校長に就任した。墓碑は東京都世田谷区内の国士舘大学の校内,創立者柴田徳次郎の墓碑の傍らにある。著書には『土耳古盛衰史』,『巴爾幹半島誌』,『露領中央亜細亜誌』『那翁全伝』等がある。
かいとうかん・かいとうだんたい
岡山県立図書館