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童謡「里の秋」は戦時中にも歌われていたのか
しつもんないよう
かいとうないよう
『日本童謡事典』によると、「敗戦直後、1945<昭和20>年12月24日からJOAK(現=NHK)ラジオの「外地引き揚げ同胞激励の午後」のテーマ曲として作られたもので、(中略)作曲者の海沼実によれば、JOAKから復員兵を迎える歌を創作して欲しいと依頼を受け、戦争中に海沼の元に送られて来ていた斎藤信夫の作詩「星月夜」を思い出し、斎藤に戦時色の見える三連以降を改作すること、題を「里の秋」とすることを提案して、実現した曲といわれる。」とある。
『最後の童謡作曲家海沼實の生涯』では、「折りしも昭和20年12月にJOAKから『復員兵を迎える歌を創作して欲しい』と依頼された實は、かつて戦時下において創作され、詩としては同人誌で発表されたものの、未だに曲の付けられていなかった1つの詩を思い出す。」とあり、以下、斎藤信夫の「星月夜」を改作し曲をつけ、『里の秋』として発表する経緯が続く。
この他にも次の資料に同様の記載がある。
『みかんの花咲く丘 川田正子-歌ととその時代』
『童謡へのお誘い』
『童謡と唱歌 歌唱の歴史2』
『童謡 心に残る歌とその時代』
かいとうかん・かいとうだんたい
岡山県立図書館
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