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西大寺軽便鉄道
しつもんないよう
かいとうないよう
①『岡山県大百科事典 上 あ〜そ』によると、西大寺軽便鉄道(さいだいじけいべんてつどう)は、岡山-西大寺間の軽便鉄道で、1911年(明治44)に西大寺-長岡(東岡山駅)間の営業を開始し、1915年(大正4)に後楽園まで開通した。西大寺会陽の前後には、満員で屋根まで乗客をのせてコッペル機関車が走ったが、第2次世界大戦後はバスにおされ斜陽化し、赤穂線の開通により1962年(昭和37)9月6日廃線となった、とある。
②『西大寺鉄道 五十二年の歩み』には、関係者や利用者の思い出を綴る文章をはじめ、「沿線風物詩」と題して、駅やその周辺の写真と説明、永瀬清子の「西大寺軽便鉄道」という詩が掲載されている。巻末の「西大寺鉄道株式会社年表」によると、1962年(昭和37)9月8日に閉業式を挙行とある。
③『西大寺鉄道』には、車両の写真や竣工図などが多数掲載されている。
④『西大寺町誌』にも、①のような内容をはじめ、西大寺軽便鉄道の沿革や、西大寺軌道株式会社定款のほか、開通式の様子などが詳細に記載されている。
⑤『岡山市史 産業経済編』には、①のような説明のほか、「西大寺鉄道により岡山と西大寺間は連絡が密となり、天満屋の岡山への進出の契機となり、また西大寺を岡山への通勤圏内にいれた。」という記載がある。
⑥『西大寺鉄道名所案内』は、西大寺軽便鉄道の路線と周辺の風景をイラストで紹介したものである。裏面には、駅周辺の史跡や観光案内が、写真とともに掲載されている。
⑦雑誌『岡山経済』(2006.7)には、「(株)西大寺鉄道創業者松田与三郎“けえべん”(軽便)に賭けた生涯」と題して、創業者に焦点をあてた記事が掲載されている。
そのほか、⑧『〔西大寺鉄道〕営業報告書 第57回 昭和十三年上半期』、⑨『軽便鉄道時代』、⑩『岡山の鉄道 写真集』、⑪雑誌『オセラ』(2007.2)の記事「追憶のモニュメント“西大寺鉄道”(岡山市)」、⑫雑誌『岡山春秋』(1952.2)の記事「会陽と西大寺鉄道」、⑬雑誌『環境』(2002.7)の記事「岡山市 西大寺鉄道跡」、⑭『西大寺鉄道;路線跡ウォーキングマップ』にも記載がある。
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