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黒田官兵衛(孝高)の曽祖父の墓
しつもんないよう
かいとうないよう
・『岡山県ゆかりの人と社寺』(資料①)の「黒田官兵衛と妙興寺」という項目には、黒田官兵衛について簡略に説明してあり、「この官兵衛の曾祖父・高政と祖父・重隆の墓所と伝えられる一画が、邑久郡長船町福岡の妙興寺(日蓮宗)の境内にある。石碑は凝灰岩製のため、風化が激しく、文字の判別などは不可能な状態になっている。」と記載がある。
・『岡山県大百科事典 下 た~ん』(資料②)の「みょうこうじ 妙興寺」という項目には、「邑久郡長船町福岡にある日蓮宗の寺院。安房国小湊、誕生寺の末寺で、山号は教意山」と記載されるともに、「境内に黒田官兵衛孝高の曽祖父高政、祖父重隆の墓(中略)と伝える墓石も現存する」と書かれている。
・『備前福岡町並み歴史散歩 備前福岡史跡保存会会報 第24号(特別号)』(資料③)の「12 妙興寺」という項目で寺について解説したあと、その寺の裏にある墓地「14 黒田墓所」を案内している。この項目では、黒田官兵衛孝高の曽祖父である黒田高政が大永3年(1523)に備前福岡で病死したので、その墓、供養塔とも言われているものがあるということが記載されている。なお、「墓石が風化して文字の判読はできません。」とある。
類似の記述が、『長船町歴史の散歩道』(資料④)、『備前福岡歴史物語 備前福岡史跡保存会会報 第23号(特別号)』(資料⑤)、『智謀の将黒田官兵衛 その男、天下に秘する野望あり』(資料⑥)にも記載がある。
・『岡山県通史 上編』(資料⑦)には、「福岡、妙興寺境内黒田家墳墓と称する内に墓石一基『高父了愉位、己丑六月十二日』とあるものは同寺所蔵過去牒、十二日の條『了愉、高政、治郎左衛門右近太夫』とあるに一致し、“高宗-高政-重隆-識高-孝高-長政”の世系に一致する歟 。唯、其石質の豊島石すなはち凝灰質蠻岩なるは後代の作に係る事なり。恐らく高父とあれば五世の孫なる長政の時再興されたるもの歟。」とある。
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