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平安時代の子どもの髪形について
しつもんないよう
かいとうないよう
『髪の文化史』p.72には、「平安期には、女の元服式ともいうべき『鬢枇ぎ』という儀式があった。成人になると両方の頬にかかる髪の一部を短くカットしなければならなかった。こうすると、短冊のように短く切り揃えられた髪の一部が、頬のあたりで揺れて、まことに色っぽくなる。」との記述がある。
『平安朝のファッション文化』p.28-30には、平安時代の髪にまつわる通過儀礼について説明されている。「男女とも五歳から九歳頃までのあいだに『髪剃』と称し、それまで伸ばしていた髪の毛先を切り揃える儀式が行われた。髪はこの年齢ぐらいまでは肩にかかるかかからない程度に切り揃えられた。」「この幼少の女童の髪形は、前髪が目の上をさすように覆っていたことから『めざし』とか『ふりわけ』、さらには尼のように肩で切り揃えてあるため『尼そぎ』などとも呼ばれていた。」また、「元服以前の童は古墳時代以来、髪を中央で左右に分けて耳のあたりで輪のように束ね、余りを垂らした『鬟』という下げ髪をしていた。」と説明されている。
『黒髪と美女の日本史』p.15-19には、「日本人にとって髪は、人生と大きく関わるものだった。髪を削ぐことも、たんに伸びたからというのではなく、人生の節目と関係していた。」と記述されている。「産剃りは、生まれて七日目におこなわれた。これは産剃りが、出産の血による穢れを取り去ると考えられていたからだ。」「そのあと、おおむね三歳を迎えるまでは、男女とも髪を剃った頭で過ごした。その理由は、高温多湿の日本の気候では新陳代謝の活発な幼児の頭皮は不衛生な状態になりやすく、湿疹やかぶれなどを予防するためだった。」と説明されている。また、「三歳になったくらいから、髪を剃ることをやめて伸ばしはじめる。これを髪置とよぶ。髪置とは、幼児が頭髪を初めて伸ばすときにおこなう儀式を意味する。」「そして、男子は五歳になり、女子は四歳になると、今度はある程度伸びた髪を切る髪削ぎをおこなった。髪削ぎは、髪置の儀式が終わり、生えそろった髪先を肩のあたりでそろえて成長を祝う儀式である。」と記されている。さらに、髪削ぎの儀式の概略を紹介し、めざしや振分髪、みづらなどの髪形についても詳しく説明されている。
かいとうかん・かいとうだんたい
岡山県立図書館
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