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旭川の河原(岡山市)で行われる夏の納涼花火大会について
しつもんないよう
かいとうないよう
・平成25年8月4日の『山陽新聞』朝刊(資料①)を確認すると、“「おかやま桃太郎まつり」が3日、岡山市中心部で開幕した。…(中略)…夜には旭川西中島河原で40回目となる納涼花火大会を開催。”と記載があるが、花火大会の起源については記載されていない。
・『岡山の祭りと行事 上巻』(資料②)によると、「夏まつりおかやま」の項目の中で、夏まつりの始まりについて“昭和46年の夏に岡山青年会議所が中心となって、市内西川緑道沿いに「歩行者天国」を開催したことが、きっかけとなったといわれている。”と記載があると共に、“(昭和)49年からは、商工会議所による「納涼花火大会」が旭川の中島河原で復活されることに”という記載がある。
・資料②を受け、昭和49年7月下旬~8月上旬の『山陽新聞』を確認したところ、8月2日朝刊に、「“夏まつりおかやま”きょうふたあけ 花火大会も復活」と題した記事(資料③)が見つかった。その記事には“10日の花火大会は9年ぶりの復活。岡山市と岡山商工会議所が「夏まつりおかやま」に協賛して西中島町の旭川河原で午後7時から同9時15分まで打ちあげ2334発と7つの仕掛け花火で夜空を飾る”と記載がある。
・資料③を受け、8月11日の『山陽新聞』朝刊を確認したところ、「岡山の花火 華やか、光の供宴 人波で埋まる旭川両岸」と題した記事(資料④)が見つかった。その記事には、10日に行われた花火大会の様子を詳細に記載すると同時に、“「打ち上げ花火の不発弾が屋根に落ち危険だ」「交通混雑がひどい」と住民の苦情続出で27年から14年間続いた納涼花火大会の復活だけに、主催者の岡山市、岡山市商工会御所では…(中略)…安全対策には細かい心配り。”という記載がある。花火大会の観客の写真も掲載されている。
・資料④を受け、昭和27年7月下旬~8月上旬の『山陽新聞』を見たところ、7月26日朝刊に「岡山市隣接十ヵ村編入 山陽新聞紙齢二万五千号記念 大花火大会 いよいよきょう」と題した広告記事(資料⑤)が見つかった。その記事には、場所は「岡山市京橋上手旭河原」となっており、主催者は「岡山市・山陽新聞社」とある。なお、25日朝刊(資料⑥)、27日朝刊(資料⑦)・夕刊(資料⑧)にも、花火大会の関連記事が掲載されている。なお、花火大会の起源について、それ以前に行われた記述は見つからなかった。
・さらに、昭和40年7月下旬~8月上旬の『山陽新聞』を確認したところ、7月25日朝刊に「あす岡山市納涼花火大会 旭川の中島地先で」と題した記事(資料⑨)があり、「第14回岡山市納涼花火大会」(7月26日開催)について記載がある。主催は、山陽新聞社と岡山市で、場所は、「岡山市中島地先(旭川東岸の川原)」とある。27日朝刊(資料⑩)にも、花火大会の関連記事が掲載されている。なお、今後は花火大会を中止するという記述は見つからなかった。
資料①~⑩により、花火大会は、昭和27年(1952)7月26日に行われた後、第14回〔昭和40年(1965)7月26日〕まで続けられた。その後、昭和49年(1974)8月10日に新たに復活し、平成25年8月3日に第40回を迎えたことが確認できる。
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