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宇高連絡船
しつもんないよう
かいとうないよう
資料①『宇高航路五十年史』資料②『宇高連絡船78年の歩み』資料③『鉄道連絡船細見』によると、戦後の旅客輸送人員増加に対応するために客載車両渡船の建造が計画され、1500トン級客載車両渡船紫雲丸眉山丸鷲羽丸が出現した。2度の試運転の後、1950(昭和25)年10月1日午前2時25分宇野発第3便から車両航走が開始された。
資料④『山陽新聞朝刊』資料⑤『山陽新聞夕刊』には、大阪からの507便列車186名の旅客を載せた鷲羽丸の処女航走の様子の記事が掲載されている。宇野高松間における夜間の乗り換えをなくすことが目的であり、深夜の第3、第20便のみであった。その後利用客は年々増加していったが、1955(昭和30)年5月11日に起こった紫雲丸沈没事故により中止となった。資料⑥『写真集 さようなら宇高連絡船』でも関連する写真が掲載されている。
かいとうかん・かいとうだんたい
岡山県立図書館
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