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カストラートの起源

しつもんないよう

カストラートはいつから始まったのか。

かいとうないよう

①『オペラ事典』では、「去勢することによって変声期以前の声域のまま成人した男性歌手。(中略)カストラートは16世紀半ばから記録に現れ」と大まかな年代のみ書かれている。
②『オペラと歌舞伎』には、「十六世紀末になるとカストラートと呼ばれる男性去勢歌手がだんだんと有名になってくる。」とあり、「カストラートが女声の音域を持っているということに目をつけたのが東ローマ帝国の首都コンスタンティノープルだったようだ。」と記載がある。また、スペインのファルセッティストの中にもカストラートがいた可能性について言及し、「去勢男性使用の風習は東のトルコ人と西のムーア人によってヨーロッパに持ち込まれてくる。」と綴られている。そのほか、「一五九九年、法王クレメンス八世はヴァチカンのシスティナ礼拝堂合唱団に二人の」カストラートを採用することを決定する。」との記載もある。
③『カストラートの歴史』は、「去勢がもっぱら音楽のために行われるようになったのはスペインである。十二世紀ころのモサラベ文化によってスペインにもたらされたカストラート」「カストラートはイベリア半島の主だった教会でかなり前から容認されていた」などの記載があるが、彼らの全部が本当のカストラートだったか否か定かでない旨の記載もあり。また、「公式な形で教皇聖歌隊に初めてイタリア人のソプラノ・カストラートが加わったのは、一五九九年のことであった。」と書かれている。
④『カストラートの世界』では、「カストラートの起源は、謎に包まれている。」とした上で、「ローマで最初に認知されたカストラートは、一五九九年の記録に登場するピエトロ・パオロ・フォリニャートとジローラモ・ロッシーニということになる」と書かれている。
⑤『クラシック音楽と女性たち』には「彼らのカトリック教会での採用は、一五三四年にフィレンツェで、六二年にはローマで記録されている。」と記載されている。

かいとうかん・かいとうだんたい

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カストラートの起源

(カストラートノキゲン)

かいとうしたとしょかんまたはだんたい
かいとうしたとしょかんまたはだんたい

岡山県立図書館

(オカヤマケンリツトショカン)

じょうほうげん(かいとう)
じょうほうげん(かいとう)

①『オペラ事典』 東京堂出版,2013,540p. 参照はp.115.
②永竹 由幸『オペラと歌舞伎』 水曜社,2012,230p. 参照はp.118-120.
③パトリック・バルビエ『カストラートの歴史』 筑摩書房,1995,260,4p. 参照はp.13-14.
④アンガス・ヘリオット『カストラートの世界』 国書刊行会,1995,311p. 参照はp.10-13.
⑤玉川 裕子『クラシック音楽と女性たち』 青弓社,2015,261p. 参照はp.27.

NDCぶんるい
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762:音楽史.各国の音楽

766:劇音楽

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