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薬研藤四郎の由来
しつもんないよう
かいとうないよう
①『物語で読む日本の刀剣150』には、刀のはじめの持ち主とされる畠山政長が、明応9年に自刃の覚悟を決めた際、藤四郎を取り出して切腹しようとしたがまったく斬れず、「「いざというときになんという様か」と政長が怒って藤四郎を投げ捨てると、その先にあった薬研という薬草をすり潰すための道具はざっくりと貫かれた。周囲に控える家臣たちは、「主を斬ることをよしとしなかったのだ」と感動し、以降この短刀は薬研藤四郎と呼ばれるようになる。」と記載されている。
②『日本刀妖しい魅力にハマる本』にも、畠山政長が切腹しようと短刀を腹に突き立てたが刺さらず、「怒って短刀をぶん投げた。短刀は、部屋の隅に向かって一直線に飛んでいき、そこに置いてあった鉄製の薬研(薬草を磨り潰す道具)をブスリと突き通して止まった。それを見ていた周りの者たちは、「この短刀は、主の命を自ら絶つことをためらったのに違いない」と感嘆した。以来この短刀は「薬研藤四郎」と呼ばれることになった。」と書かれている。
③『日本刀大百科事典5』には、「畠山政長が、(中略)自決する時、この短刀で腹を三度まで切ったが、切れなかった。それで投げ棄てたところ、近くにあった薬研を表裏に貫いた」と記述がある。
かいとうかん・かいとうだんたい
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