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「文安御即位調度之図」の中の7本の幢旗

しつもんないよう

「文安御即位調度之図」にある7本の幢旗の絵とその特徴について解説している本が見たい。『新校群書類従 第4巻 官職部 律令部 公事部(一)』は確認したのでその他にないか。

かいとうないよう

①『京都の御大礼』には「第四章 即位式・大嘗会の調度と悠紀主基屏風」の中に「48 文安御即位調度之図(ぶんあんごそくいちょうどのず) 」貴志忠美/写 天保9年(1838)/写 小原家文庫(皇學館大学神道博物館)が掲載されている。202ページにはこの図の解説があり、「高御座(たかみくら)・四神旗(しじんのはた)・日像幢(にちぞうのはた)・月像幢(げつぞうのはた)以下の即位式で用いる調度を図示したもの」という記述はあるが、7本の幢旗についての詳しい解説はない。

②『日本旗章史図鑑』には「第Ⅰ部 「古代・中世の旗章」の「1.弥生時代、飛鳥・奈良時代」の中に記述がある。「7本の幢とは、日像幢、月像幢、銅烏幢、玄武旗、白虎旗、朱雀旗、蒼龍旗である。前者3旒は日本固有のもので布製ではなく旗章学で言うヴェクシロイドである。後者4旒は「四神旗」と呼ばれ、581年隋の文帝即位以来中国で使われてきたものと伝えらていれる。遣隋使によって推古期に導入されたと推定される。」と説明がある。また、宝幢と呼ばれるこの7本は『続日本紀』に大宝元年(701)文武天皇が正月の朝賀の儀式で使用したと記述があるが、儀式は次第に省略され、天皇の即位式のみの使用となったということも書かれている。「文安御即位調度図」は「旗のデザインを伝える最古の絵画」として紹介されており、国立公文書館蔵の写本が掲載されている。

③『飛鳥・藤原京を読み解く』には「第3章 藤原京の幢幡遺構―大宝元年の元日朝賀と儀仗旗」の中に「三 大宝元年元日朝賀の復元」があり、「七本の幢幡の復元」という項目がある。本文の下には「図13 『文安御即位調度之図』(神宮文庫所蔵)」としてカラーの7本の幢幡の図が掲載されている。また、文中では「これは平安時代院政期の即位式を伝える史料と考えられているもので、室町時代に写本されたものが現在まで残っています。そこでは、三足烏をかたどった銅烏幢(どううどう)、烏の絵が描かれた日像幢、月桂樹と兎などの絵が描かれた月像幢、青(蒼)龍、朱雀、白虎、玄武がそれぞれに刺繍された四神旗(しじんき)が描かれています。いずれも高さは三丈、九メートルとされ、主柱に対して二本の脇柱がついています。」と説明されている。

④『日本的時空観の形成』には「I 古代の時間と空間」の中に「日出処・日本の元日朝賀と銅烏幢」がある。文中に「『文安御即位調度図』中の日像幢の図様には「日中に赤烏有り」、月像幢の図様には「月形、桂樹・蟾蜍・菟等の形、中に在り。菟は左に在り」との注記があるが、群書類従本に所収の同図は不正確で、日像中の赤烏の足は二本しかなく、月形中には桂樹をはさんで二羽の菟が相対するように描かれている。」と説明がある。『文安御即位調度図』は掲載されていないが、「壬生本『御即位御装束絵様』」の調度図や中国などのさまざまな資料との比較について述べられている。

⑤『日本古代即位儀礼史の研究』には「第三篇 大嘗祭の研究」の中の「第三章 「節旗」考」の「第四節 『兵範記』の「節旗」記事」に「図1 『文安御即位調度図』の幢幡旗(『群書類従』第七輯所収より転載)」が掲載されている。7本の幢旗については、『儀式』巻六「元正受朝賀儀」によると「大極殿中階より南の十五丈四尺の地点に銅烏幢が樹てられ、その東に日像幢、朱雀旗、青龍旗が樹てられる(青龍旗は大極殿東頭楹に当たる)。銅烏幢の西には月像幢、白虎旗、玄武旗が樹てられる(玄武旗は大極殿西頭楹に当たり、各幡旗の間隔は二丈許で、蒼龍・白虎両楼南端と並ぶ)。」とある。

⑥『平安宮成立史の研究』には「第三章 朝政・朝儀の展開」にある「二 朝堂院の構造」の中の「(四) 大極殿院の構成」に「大極殿前庭に建つ七本の宝幢」の項目がある。その中で「第三図 七本の宝幢」として「『群書類従』第七輯所収『文安御即位調度図』」の一部が引用され、「高さ9mの柱の上に烏・日・月を象った金属性のもの,あるいは四神を縫いとった旗をつけ5.7mの脇木で固定する。」との解説がついている。七本の宝幢の図はそれぞれ「銅烏幢・日像幢・月像幢、蒼龍旗・朱雀旗・白虎旗・玄武旗」とあり、このうち「蒼龍・朱雀・白虎・玄武」は四方を司る四神のことで中国では墳墓の壁面や鏡、そして幡にも描きつづけられてきたモチーフであるためデザインとして使用されたのではないかと書かれている。また日像・月像も中国で墳墓の壁面に描かれたモチーフであり「日像には日の精である三本足の烏、月像には桂樹・蟾蜍・兎が描かれている。」との説明もある。銅烏幢については『文安御即位調度図』などに「色は黄なり」や「北に向く」といった注記があると書かれており、いくつか理由を挙げた上で日本独自のものではないかと考察されている。

⑦『日本の美術』509号では皇族などの公家階層が用いた服飾調度類の意匠である有職文様が取り上げられており、朝賀に使用されていたものとして幢幡が紹介されている。第32図に「『文安御即位調度図』銅烏幢・日月像幢・四神旗(国立公文書館)」があり、平安京遷都後に編纂の『内裏式』や『儀式』に詳しく書かれている幢旗類の様式がこの図に伝わっていることが書かれている。その様式とは「銅烏幢は幢竿の頂部の蓮華座に三足烏像を置いて玉を垂らす様式、日月像幢は九輪付き幢竿の頂部の円盤に日月や月像を表わす様式、四神旗は鉾形竿の頂部に錦で縁取られた裂を取り付け、これに四神像を刺繍し、四条の足を垂らす様式」と書かれている。また、図様については⑤の資料に書かれていたこの図の注記が掲載され、「日像幢については「輪の中に三足烏有り」(中略)とする伝承もある。」という説明が追加されている。いずれも「唐の実例を参考として工夫を加えたものと考えられる。」と書かれている。

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「文安御即位調度之図」の中の7本の幢旗

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じょうほうげん(かいとう)
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①所 功『京都の御大礼』 「京都の御大礼-即位礼・大嘗祭と宮廷文化のみやび-」展実行委員会,2018,256,11p. 参照はp.110-112,202.
②苅安 望『日本旗章史図鑑』 えにし書房,2019,262p. 参照はp.014-015.
③国立文化財機構奈良文化財研究所『飛鳥・藤原京を読み解く』 クバプロ,2017,194p. 参照はp.87.
④吉川 真司/倉本 一宏『日本的時空観の形成』 思文閣出版,2017,596,4p. 参照はp.118-119.
⑤加茂 正典『日本古代即位儀礼史の研究』 思文閣出版,1999,471,14p.参照はp.204-209.
⑥橋本 義則『平安宮成立史の研究』 塙書房,1995,441,21p. 参照はp.179-185.
⑦猪熊兼樹編「有職文様」『日本の美術』509,2008.10,p.22-25,28.

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210.3

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