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秦の始皇帝の墓
しつもんないよう
かいとうないよう
①『兵馬俑のひみつ』の「こわれた兵馬俑(テラコッタ人形)の復元」の項に「坑のなかには、テラコッタで作られた兵士の人形(兵馬俑)が何千体もならんでいた。馬や二輪馬車の人形の一部も坑から発見されている」とあり、「これまでに、2000体くらいテラコッタの兵士が復元されたが、残りの兵士は、こわれたままか、土の中に埋まったままだ。テラコッタの人形にくわしい専門家たちは、この巨大な坑のなかに、全部で8000体くらいのテラコッタの兵士がならんでいたと考えている。」と記載がある。
②『みんなが知りたい!世界遺産』の「秦の始皇帝陵」の項に、「陵墓を取り巻くようにつくられた兵馬俑坑には、約100台の戦車、約600体の馬、約8000体の兵士の素焼きの像が埋まっている。服装は階級ごとに異なり、顔の表情も一体ずつ違い、手には武器が握られ、すべてが西の陵墓を向いている。」と記載されている。
③『古代文明のふしぎ』の「始皇帝の兵馬俑」の項に「兵馬俑は始皇帝陵の東1.5㎞の地点3か所に、うめられていました。兵馬俑坑の面積は2万㎡をこえ、8000の兵、600の馬、100の戦車が見つかっています。」とある。
④『遺跡から調べよう!3』の「中国 秦の始皇帝陵」の項に、「兵馬俑とは兵士や軍馬をかたどった土製の俑(人形)であり、城壁の外側、始皇帝陵の東のはずれにつくられました。その数およそ8000体、圧倒的なスケールの地下軍団です。」と記載がある。
⑤『歴史について知っておくべき100のこと』の「2,000年以上も隠されていた…軍隊がいる」の項に、「1974年、井戸を掘っていた農夫たちが古代の墓室を掘り当てた。そこには、すべて素焼きで作られた人形ではあったが、少なくとも8,000人以上の軍隊と、同じくらいの人数の芸人がいた。彼らは紀元前210年頃に、中国の初代皇帝である始皇帝の遺体といっしょに埋葬されたのだ。」と記載がある。
⑥『写真で学ぶ世界遺産3』の「秦の始皇帝陵」の項に、「墳丘のまわりには始皇帝を守るための兵馬俑(粘土で作られた兵士や馬の像)が数千体埋められました。1974年に地元の住民が井戸を掘ろうとしたときに偶然発見されましたが、現在も発掘が続いていて、兵馬俑の総数はいまだにわかっていません。」と記載されている。
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