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チンパンジーの渡来
しつもんないよう
かいとうないよう
①『チンパンジーにありがとう』には、「日本の動物園にはじめてチンパンジーがやってきたのは、一九二七(昭和二)年のことです。場所は大阪の天王寺動物園。(中略)ところが、そのチンパンジーは無理がたたり、翌年に死んでしまいました。」とある。
②『大阪市天王寺動物園50年の歩み』によると昭和2年(1927)の出来事として、「10月にはチンパンジーがお目見えし」、「10月同じく黒猩々来り、大評判となりしも翌11月死す。」、「10月 チンパンジー(太郎)入園」といった記述がある。
※「黒猩々」はチンパンジーのこと。
③『飼われている猛獣』には、「わが国にチンパンジーがはじめてやってきたのは、昭和二年です。神戸の動物商の手を経て、大阪の天王寺へきたのが草分けです。」とある。「太郎」という名前で、「わが国にはじめてきたチンパンジーですから、たいへんな人気です。各新聞の写真にとりあげられ、たちまち日本中の話題となりました。」とあるが、その後、風邪がもとで肺炎になり、17日目に死んでしまったと説明がある。
④「動物渡来物語」によると、「黒猩々は大正一〇年頃バイサックというイタリーのサーカスが連れて来て、九州別府に開かれた博覧会の余興に見せたのが最初である。一行は後に神戸でも興行した。次は大正十五年横浜に舶来した二頭の黒猩々の内、小さい方の一頭を神戸の動物商中田氏が買入れ其の年の一一月から約一〇箇月自分で飼養した。昭和二年大阪市立動物園に入り太郎と呼ばれたが風邪をこじらせて在園数箇月で死んだ。」と記述がある。
⑤「日本におけるチンパンジー(Pan troglodytes)飼育の初期の歴史 1920-1950年」には、「1950年より前に日本で飼育されていたチンパンジー」の表が掲載されている。大正10年(1921)のバイサックサーカスの1頭、大正15年(1926)の収集家リスタニーの2頭(うち、1頭は大阪市立動物園の太郎)以降、来日年の順に28頭を紹介している。
※なお、②~⑤の資料から、天王寺動物園のチンパンジー「太郎」は昭和2年(1927)に死んだと考えられる。
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