検証、「備前国VS讃岐国」の大槌島争奪戦!
(岡山藩) (高松藩)
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バトル勃発!
大槌島の東の海に長さ約4.5km、幅約90mの「大曽瀬(おおそのせ)」という名の浅瀬(水深約4~7m)があり、鰆や鯛などが捕れる良質の漁場となっていました。享保16年(1731)の3月、その内の約3km分について、備前国と讃岐国の漁民それぞれが漁業権を主張、争いが勃発しました。
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備前国(岡山藩)と讃岐国(高松藩)、どちらの絵地図にも大槌島が・・・。
互いの主張がぶつかり解決がつかないため、備前国(児島郡の日比村、
利生村、渋川村)はその年の9月に江戸幕府へ訴訟を起こしました。幕府
はその審議を始めるにあたって両藩の絵図を確認したところ、双方ともに
大曽瀬の根元にあたる大槌島を自領の島として記載していることがわかり
ました。これによりこの一件は、漁場をめぐる対立から大槌島の帰属問題
へと発展、藩を巻き込んでの大事件となったのです。 |
「双方に半分宛相附候(はんぶんずつあいつけそうろう)」の大岡裁き?
事態を重視した幕府は、現地調査のため2名の検使を備前国へ派遣し
大槌島の見分や距離の実測など詳細を調査しました。それに基づいて
幕府の裁許(判決)が出されたのは享保17年9月、児島三カ村が提訴
してから1年後のことでした。
その内容は、「双方の主張を証拠立てるものは一切なく、〝双方に半分
宛相附候〟」つまり、大槌島は南北に折半し、北半は備前国岡山藩領、
南半は讃岐国高松藩領とし、また漁場についても同様に瀬の中央を境
とするというものでした。
裁許状には奉行10名の署名がありましたが、興味深いことに、その中
には「大岡越前守忠相」も名を連ねていることから、あの〝大岡裁き〟が
この紛争の決着に関係していたのかも知れません。
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下掲の裁許状(長さ189cm×幅33cm)は玉野市教育委員会に所蔵されていますが、
その写真と内容を訳したものが「備讃の国境物語」(西日本法規出版)に掲載されています。
〔裁許を下した10奉行名の拡大写真〕
後ろから4番目に「大越前」の名が見えます。
(出典:『備讃の国境物語』宮川澄夫、西日本法規出版) |
現地で境界を確認、石塚を築造
大槌島は、備前国と讃岐国が半分ずつ領有すると決められました。
しかし、この裁許には双方ともに不満を残していたこともあって、関係者が
現地で立ち合い境界の確認書が交わされたのは、享保18年6月、幕府の
裁許が下ってから9カ月後のこととなりました。
大曽瀬の境界は海の上であり、これは山や峰の見通しで決められていまし
たが、島の方は双方から人夫15名ずつを出し、頂上を含め5か所に石塚を
築造、これによりこの境界紛争は足掛け3年の歳月をかけようやく解決する
ことになりました。 |
続けられてきた境界の保全と確認
大槌島に築造された石塚は、これまでに何回か破損し、そのたびに双方
の役人が立ち会って修復されてきました。次の3回については文書が残さ
れており、その内容を確認することができます。
1、寛政元年(1789)9月
2、明治22年(1889)6月28日
3、昭和41年(1966)10月26日
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日帰りピクニックで賑わった古き良き時代・・・。
昭和9年(1934)には、国立公園法が制定され瀬戸内海全域が国立公園となり、
そのなかで大槌島が、鷲羽山や王子ケ岳とともに特別地域に指定されました。
これを記念して日比地区では「大槌島保勝会」が結成され、この島の開発が
計画されました。
青年団などの勤労奉仕(ボランティア)により登山道が整備され、頂上や山すそ
の平地には休憩所がつくられ、50本ほどの吉野桜も植えられました。春から
夏のはじめにかけて、日比港から定期船が通い日帰りのピクニックで賑わいまし
たが、長くは続かず戦争が始まった頃には登山道や休憩所も荒れ果てて、行き
交う人もいなくなりました。 |
その後の大曽瀬は?
昭和の高度成長期を中心に、備讃瀬戸では建設資材として利用することを目的として海底砂利の採取が行われました。これにより広範囲に渡って海底地形の変化が起こり、大曽瀬もまた下掲のイメージ図のように著しいダメージを受ける結果となりました。
(昭和40年代から約40年間に渡った海底砂利採取は、岡山県では平成15年に、香川県では平成17年に全面禁止となっています)
備讃瀬戸では、全体の漁獲量が昭和55年(1980)頃をピークとして1/3程度にまで減少するなど、さまざまな問題が顕在化していますが、国は平成21年(2009)に「備讃瀬戸環境修復計画」を策定するなどして、これまでの開発等によって失われた良好な環境の回復を目指しています。 |
―参考―
・『ひろがる玉野』
玉野市読本編集委員会/昭和31年(1956)
・『玉野市史』
玉野市/昭和45年(1970)
・『享保期における備讃国境争論』
大森映子/日本女子大学史学研究会/平成6年(1994)
・『備讃の国境物語』
宮川澄夫/西日本法規出版/昭和63年(1988)
・『私の備讃瀬戸』
角田直一/手帖舎/平成3年(1991)
・海上保安庁資料
・『備讃瀬戸環境修復計画』
国土交通省/平成21年(2009)
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