「西崎の妙見さま」として多くの人々に愛され、親しまれてきたこの小さなお寺は、正式には日蓮宗西崎妙見教会という。
正面入り口から石畳の参道を歩くと右側に通夜堂があり、毎月ここに人々が集い、お経をあげる。大きな石の鳥居の先には七段の階段があり、文字通り階段の下は下の段、上は上の段と呼ばれている。下の段の通夜堂は内殿、上の段は外殿と称する。
その歴史は古く、内殿には、15世紀半ば後醍醐天皇から足利尊氏・赤松氏の手を経て備前の住人前田六郎に与えられたという妙見大士を、外殿には享和2年(19世紀初め)の御野郡の大飢饉に際し、能勢の妙見山から勧請された妙見大菩薩が祀られている。
祭りの幟にもあるように、妙見菩薩は北辰妙見菩薩とも呼ばれ、北の空を司る北極星を神格化したものと言われる。神社の象徴である鳥居が立ち、妙見信仰では北極星を崇め日蓮宗のお経を唱える・・・。
太陽や星に始まる自然への賛美と畏敬の念、ご先祖さまを崇める気もち、長い時の流れのなかに古くからの在地の神を信仰する神道と、外来の仏教とが融合した信仰の輪とでも言うべきものなのかもしれない。
月例祭と祭りの日に、菅野の幸福寺からご住職がみえ、修行する。 |
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平成26年の外殿屋根修復工事
古い資料によれば、妙見さまは、1軒の檀家も持たずにこの地に住む当時の20数軒で運営されてきたという。以来数百年にわたり、周辺の世帯数が約千戸を超えるようになった今日でも、その形は変わることなく、五穀豊穣、家運隆昌、諸願成就、開運の守り神として人々に親しまれてきた。しかしながら外殿の奥の院、内殿手洗い場の屋根が長年の風雨にさらされ、修理が必要となった。
近年では、平成4年の大規模な内殿御屋根修復工事に次ぐ二度目の修復工事である。
日頃、世話をする者たちが協力をよびかけたところ、近隣の人々のみならず、遠隔の地の縁者に至るまでご厚志を頂戴し、小規模とはいえ、消費税増税前の繁忙期にも拘わらず工事は無事完成した。
期せずして、今年平成26年、妙見大菩薩を、西崎の地にお迎えして210年目の春であった。宗派をこえ、妙見さまが幅広い人々に支持されていることを知ることもできた。世話人たちは、頻繁に境内に足を運び、棟板のはずされた屋根を眺め、見守るうちに、この工事がなければ知りえなかった事実を見聞した。
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妙見さまは檜わだ葺きのお屋根だった
妙見さまのお屋根の修理が行われています。
外殿、つまり一番奥の小さな銅版張のお屋根が修理中です。
棟板がはずされ明治13年にいよの塩飽の棟梁が建てたことがわかりました。ずいぶん前から鉄板に覆われていた屋根が、なんと立派な檜皮葺きでできていました。檜の皮の部分はまだしっかりしているそうですが、木はよく腐っています。また、鉄板に覆われてしまいますが、百年以上も前のお屋根がいまなら見えます。
(「マイタウン西崎元町」57号,平成26年3月)
(注)修復工事完了のため、もう見られません。
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妙見さまには象の狛犬がいる
妙見さまのお屋根の修理が行われ、上の段、外殿の本殿をじっくり見る機会がありました。そこにはたくさんの彫り物があって、小さいけれどお獅子と象が一対の狛犬になり阿吽の姿を取っています。
象の姿は、鼻の短い障壁画などにある姿をしています。ぜひ一度、双眼鏡を持って、ご覧になってください。
(「マイタウン西崎元町」58号,平成26年4月)
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妙見さまの狛象(コマゾー)くんは、塩飽(しわく)名工の手になるものだった!
平成26年春の外殿屋根修復工事に先だち、20数年ぶりに外殿を開扉し、妙見菩薩様のご本尊を手前の拝殿に移すこととなった。日ごろお世話する人々が召集され、お上人と夫人のお手伝いをした。その折に拝見した棟板には、外殿の建立の発起人の氏名等とともに、外殿を建てた棟梁の名前が記されていた。
「維時明治十三歳十一月十七日落成
愛媛懸讃岐國中野郡塩飽㠀棟梁田中音吉建立」
明治13年落成となると、現在このお寺の世話をする人たちは発起人たちの3代目、4代目
にあたるのだろう。子どものころ境内やお滝で遊び、空襲のときに裏山の防空壕に逃げたときの記憶は鮮やかでもこのお寺の成り立ちについて詳しく知る人の数は減りつつある。今回西崎妙見堂と呼ばれる外殿が四国の名工と謳われる塩飽島の棟梁の一人が建てたものと判明したのは大きな収穫であった。
修復となった外殿お屋根の優美な形もさることながら、その軒下であまり人目に触れることはなくとも御堂の守りを務めてきた狛象と狛獅子(犬)たちの姿を眺めていると、建築当時の人々の熱き思いが伝わってくるようだ。
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