安政6年(1859年)、備前国上道郡高島村雄町(現 岡山市中区雄町)の篤農家、岸本甚造が、伯耆大山の牛馬市からの帰りに大粒のモミをつけた稲をみつけた。その稲を2穂持ち帰って栽培したところ、大粒で心白が大きく、酒米に適した米であることがわかった。それをさらに良品種に改良し、地名にちなんで雄町米と命名したその米は、すぐに近郊の農村に栽培者が広がった。しかし栽培が難しく収量も少ないため、次第に栽培農家が減っていった。だが、県内の酒造メーカーや地域の努力により、その後作付面積は回復しつつある。
酒米だけでなくこの辺りで採れるお米が美味しいのは、名水百選と称えられる雄町の冷泉のおかげかもしれない。
今はアクアガーデンとして整備され、取水に来る人も多く、また近隣の子供たちの憩いの場ともなっている。 |