兵庫一件始末書上

【解読文頁二 補注】

[一]「与惣[兵]衛」:原文では、兵が抜けているので補った。

[人物]
古田藤兵衛:備前藩士。西宮出張届では先手物頭。  ●上島与惣兵衛:備前藩士。西宮出張届では、武具奉行。 ●須藤但馬:宇和島藩士。宇和島藩の歴代要職の家に生れる。慶応元年同藩若年寄。伊達宗城の股肱の臣として、幕末期に活躍(『北宇和郡誌 前篇』、頁九九一―九九七)。  ●五代才助(友厚):薩摩藩士。明治元年一月二十三日、徴士参与兼外国事務掛(『復古記 第一冊』、頁六九八)。

[事物と地名]
徴士参与:参与は王政復古の際、将軍などを廃止するとともに新設された三職(総裁、議定、参与)のひとつ。のち、堂上出身の参与を「上の参与」、藩士出身の参与を「下の参与」とした。明治元年(慶応四年)一月十七日、太政官代に七科が置かれたときに、正式に徴士と貢士が設けられた。三職制のもとで参与となった一〇一人中徴士参与は四八人であった。(馬場義弘「明治初期の徴士制について」『同志社法學』、一九八七年、三十八巻四―五号、頁一四六―一七四)
馬廻:岡山藩の武士の格としては、「平士」。士官に当り、番頭・物頭・近習頭分の下に配属される一般将校(『岡山藩』、頁六六)。ただし、瀧が命ぜられたのは、日置家中での役職である。