[一]「二月六日」:瀧善三郎の名前と身分を記した文書の日付は六日だが、提出されたのは二月七日朝である。
『伊達宗城在京日記』、頁七〇五では「同七日晴 〇今暁備前家来名元附出ス」とある。
[人物]
●下野信太郞:岡山藩外交方。 ●原田権左衛門:岡山藩士、西宮出張届では先手物頭。
[事物と地名]
〇英国公使館:英国は、神戸開港日にあわせて神戸に領事館を開設した。場所は旧幕府海軍操練所であった(『国際都市神戸の系譜』、頁七二―七三)。 〇旅籠町:山陽道(西国街道)沿いの小広町、神明町にかけて旅籠が多く、俗に旅籠町と呼ばれた(『兵庫県の地名 Ⅰ』、頁一一一)。 〇桝屋長兵衛方:「柳原惣門」を入って神明町に来ると、西側に井筒屋(衣笠)又兵衛の本陣があり、本陣に南接して明石屋宗兵衛、小路を隔てて西側の小広町に豊島屋宗兵衛、同町の東側に桝屋長兵衛(または長左衛門)、その南隣に三木屋作右衛門の四軒の脇本陣があった。(『知れば知るほど 兵庫区歴史花回道』「七七」)。 〇神戸東門:兵庫開港に先立って、慶応三年に外国人居留地を開くとき密貿易を防ぐために設けた番所のうちのひとつ(「居留地西関門跡の碑文」)。前記は西関門の説明であるが、東関門も同様だったと思われる。