平賀元義晩年のゆかりの地を訪ねて
◆ 平賀元義について
 自筆の遺書によると、「平賀左衛門大郎源元義〔ひらがさえもんたろうみなもともとよし〕」とも名乗っている、万葉調歌人、国学者〈寛政12(1800)年7月3日〜慶応元(1865)年12月28日〉。
 良寛
〔りょうかん〕、大隈言道〔おおくまことみち〕、橘曙覧〔たちばなのあけみ〕、香川景樹〔かがわかげき〕らとともに幕末に評価された歌人のひとりである。
 ■ 生涯
 平賀元義は、寛政12(1800)年7月3日、備中下道〔しもみち〕郡陶村〔すえむら〕枝奈良(現:倉敷市玉島陶)の母の実家、百元家〔ひゃくもとけ〕で生まれた。父は、平尾新兵衛長春〔ひらおしんべえながはる〕といった。
 平賀元義は、その人生の大半を「御国の神社と存亡を共にする存念」との決意のもとに理想と夢を追い、国学者、すなわち皇学
〔みくにまなび〕の徒として門人達と共に備前、備中、美作を中心とした各地の神社古資料等の探訪の日々を続けた。
 明治維新直前の慶応元(1865)年 12月に、大多羅村松崎新田内(現:岡山市大多羅)にあった門人の中山家(布勢神社の神官をつとめていた)に滞在することとなった。そのころ、岡山藩主に自著の資料が取り上げられたり、黒住教の行司所から顧問として招かれるなど、不遇な人生にもようやく春が訪れようとしていた。
 しかし、その矢先の12月28日に長岡(現:岡山市長岡)にある門人宅を訪ねる途中、長利
〔ながとし〕で路上に倒れ、脳卒中がもとで世を去った。66歳であった。
布勢神社
布勢神社

※岡山県立図書館にも写しであるが、平賀元義が著した「高蔵神社之事御問ニ付奉答覚」が所蔵されており、「デジタル岡山大百科」からご覧いただけます。その他、郷土情報キーワード検索にて「平賀元義」と入力し、検索していただきますと、様々な資料をご覧いただけますのでどうぞご利用ください。
 ■ 評価
 元義の評価は、その和歌においてなされることが多いが、本人としては、「我好みて古書を読む。たまたま情緒の発して歌となることあれど是我が本領にあらず」と語っている。
 なお、和歌については、没後、埋もれていたものを、明治になって、羽生永明
〔はにゅうえいめい〕が「恋の平賀元義」を書いて紹介し、それをたまたま正岡子規(当時短歌革新者として雄飛していた)の弟子が読み、師のもとに送ったところ、子規が、新聞「日本」紙上の記事「墨汁一滴」で激賞するところとなり、その評価を高めたといわれる。

※「恋の平賀元義」
 明治33(1900)年1月20日から2月1日まで、山陽新報に連載された。
※新聞「日本」の紹介文(一部抜粋)
「天下の歌人挙って古今和歌を学ぶ、元義笑って顧ざるなり。…万葉以降に於いて歌人を得たり。源実朝、徳川宗武、井出曙覧、平賀元義是なり。…」
※その他、正岡子規の評価については、「万葉以降一千年の久しき間に万葉の真価を認めて万葉を模倣し、万葉調の歌を世に残したる者、実に備前の歌人平賀元義一人のみ」とも書いている。
◆ ゆかりの地を訪ねて
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 ■ 歌碑
 歌碑は、JR赤穂線大多羅駅のすぐ北にある芥子山の中腹にある布勢神社の境内にある。 平賀元義の歌碑
歌碑
- 歌碑 -
上山〔うえやま〕は山風寒しちちのみの父のみことの足ひゆらむか
- 歌意 -
上山は大そう寒くて、冷たい山風が吹いて来ますから、父上の御み足はさぞ冷えることでありましょうね。
 文政10(1827)年、元義28歳のときに亡くなった父長春を思う句である。歌碑は、元義の優しい心根を表す歌意にマッチした、おむすびのような形の石に短冊のスタイルで刻印されたものとなっている。

※「上山」とは
 妙林寺(岡山市三門東町)の背後に位置する一山墓地で長春が葬られた場所。


現在の布施神社への参道
布勢神社参道

・最晩年の慶応元(1865)年9月11日の作歌
大汝〔おほなむち〕〔かみ〕〔みこと〕の臥〔ふせ〕らせし布勢の石倉〔いわくら〕見れば尊し

 布勢神社の境内は山をとりこんで広く、当時は孟宗竹の林《右写真は、現在の参道》の中にあり、昼間でも暗く、その枝が路を覆うばかりであったと思われる。
 本殿から山腹を左にまわると磐座
〔いわくら〕という場所があったらしい。歌に添えられた詞書〔ことばがき〕によると、元義は、この磐座をはるかに望見しているとのことであり、百間川〔ひゃっけんがわ〕を越えて仰ぎ見ていたのではないだろうか。
 ■ 墓
 平賀元義の墓は、千福山宝泉寺〔せんぷくざんほうせんじ〕の墓所に、大正7(1918)年、有志によって墓碑建設がなされ、現在も藪を後ろに寂然と立っている。
 なお、布勢
〔ふせ〕神社から宝泉寺に行くためには、神社の鳥居から通じている小径を東へ約200メートルばかり進めばよい。墓所は、本堂にあがる石段わきに広がっている。
平賀元義の墓
元義の墓
◆ 参考文献
 『平賀元義名歌評釋』  森 敬三著       (1933年)
 『平賀元義論考』    紺屋o作著       (1979年)
 『平賀元義歌と書』   平賀元義歌と書刊行会編 (1980年)
 『平賀元義』      羽生 永明著      (1986年)
 『平賀元義論攷』    正務 弘著       (1988年)
 『万葉調歌人平賀元義』 渡部秀人・竹内佑宜著  (1995年)

 『平賀元義を歩く』   渡部秀人・竹内佑宜著  (2004年)
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※岡山県立図書館メディア工房にて岡村晃靖氏と岡山県立図書館が共同で制作しました。
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