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津山から西(松江)に延びる出雲道と東(姫路)に延びる播磨道が結ばれ、出雲街道(出雲往来)とよばれている。
出雲街道は、奈良大和文化と出雲文化を結ぶ重要な道として古代より発達し、今から1.300年ほど前の大化の頃にはすでに官道として整備されていた。
津山藩は、出雲街道の東西2か所の入り口に大番所を設け、番役人を常駐させて往来の取締りをさせていた。
東の大番所は材木町の宮川大橋西詰にあった。その材木町から西に片原町(のち伏見町)、京町、
木知ヶ原町(のち堺町)、元魚町、二階町、本町、坪井町と続きそして宮脇町までが城下の内町だった。
「 二階町 」は当時そこに住んでいた豪商 「 蔵合(ぞうごう)山口家 」 が二階建ての邸宅を建てたことからこの名がついたといわれている。
この 「 蔵合山口家 」(蔵合は屋号) については井原西鶴が元禄元年(1688)に 『 日本永代蔵 』 の中で、その長者ぶりを描いている。
坪井町と宮脇町の境に江戸時代前期に建てられた美作地方独特の中山造りの社殿をもつ津山城下の総鎮守 「 徳守神社 」 があり
宮脇町の北には国登録有形文化財の 「 城西浪漫館 」 (旧中島病院) がある。 西の大番所はこの宮脇町の藺田 (いだ) 川に架かる翁橋東詰にあった。
続いて西今町に入ると国登録有形文化財の 「 作州民芸館 」(旧土居銀行本店) があり、
次に西寺町、茅町(かやまち)、安岡町そして紫竹川に架かる筋違 (すじかい) 橋へと続く。
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