明治時代の印刷物 − 文明開化の頃のデザイン − |
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※ 記載文字 |
岡山日報第八百七十六号付録明治二十五年一月三日 連戦連勝勇ましヽ。進めや進めイザ進め。 国会解散何んのその。正義の駒に鞍置て。 右手に真理の鞭を挙げ。世論の手綱を左手 に取り。自由の利刀腰に着け。進取の気象 を胸に据え。英雄傑士を肝となし。黒煙漲 る其の中に。吹き出す喇叭に打つ太鼓。撓 まず屈せず民党は。足並そろえて進むべし。 連戦連勝勇ましヽ。進めや進めイザ進め。 国会解散何んのその。思ひを一ツに意を通 じ。鉄の腸石の肝。 色は変はらぬ常盤木や。操を守り主義の為 め。イツカナ挫けぬ真男子の。勇気は日頃 に十倍す。震天動地の其の中に。吹き出す 喇叭に打つ太鼓。撓まず屈せず民党は。足 並そろへて進むべし。 花は散りても実を結び。月は欠けても亦満 る。勇めや勇さめイザ勇さめ。正義の友を 撰び出し。自由の男子呼び起し。再び満つ る十六夜の月の光りを輝やかせ。散りて失 せしと見せかけた。庭の梅の木実を結び。 二五年の春秋を。 目出度民党万歳を。手を打ち鳴らして祝ふ 可し。 花は散りても実を結び。月は欠けても亦満 る。主義を重んず人を挙げ。ジョン、ブライ トかコブデンか。ハンプテンの剣をば。右手 にムヅと提げつ。左手にはミルトン、ル ーソルの。ブックを抱く自由男。肝学備は る人を得て。二五年の春秋を。 目出度民党万歳を。手を打ち鳴らして祝ふ 可し。 |
※ 参考 |
明治25(1893)年1月3日発行の岡山日報の付録。 この前年、明治24(1892)年12月は、第二回帝国議会が開催されており、樺山資紀海相の「蛮勇演説」で解散、翌明治25(1893)年2月15日に総選挙となる。この時、政府系は大規模な選挙干渉を行い、多くの死傷者が出るも結果は野党(当時は民党)の圧勝であった。 いずれにしても、当時の新聞の文語調の調子の良い書きぶりが伝わってくる。 |
* 「岡山日報」について |
国会開設直前の明治22(1890)年2月に創刊される。社長山崎弥平、主筆に高知出身の植木枝盛を招いた。植木枝盛は自由党で、国民主権の私擬憲法の作成をしたことで知られる。岡山日報は山陽新報及び後に創刊された中国民報と競合していくが山陽新報と中国民報におされ、徐々に部数を減じていく。明治32(1900)年には改組して関西新聞とするが明治37(1905)年に廃刊となる。 |
※参考文献 |
『山陽新聞百年史』 山陽新聞百年史編集委員会 (1979) |
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