百間川−橋と河川敷を歩いて−
※ 海吉橋から600mほど南に行った所より北を眺めた景色
百間川は、江戸時代初期に岡山城下町を水害から守るため、池田藩の津田永忠(つだながただ)が熊沢蕃山(くまざわばんざん)の構想を基に設計・指揮し、旭川から水路を分岐させて作った総延長約13kmの人工河川です。 川の名前は、当時の「二の荒手」の幅が堤防を含め百間(約180m)あったことに由来しています。 その後何度か改修工事が行われましたが、平成時代の大改修に伴い大きく姿を変えました。ここに現在の橋や河川敷の風景を通して、その周辺に住む人々の百間川との関わりと、併せて百間川の歴史・変遷を紹介したいと思います。 |
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※ 上流・中流・下流は、制作者が便宜上分けたものです。