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津島の名刹「妙善寺」 − エピソード |
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名称(ヨミ) | 小山益太(コヤママスタ) |
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場所 | 赤磐市稗田 |
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− 小山益太〔正妙寺蔵〕(広報あかいわ提供) − |
室町時代、足利義政の妻日野富子が移り住んだという赤磐市稗田に、代々名主を務める小山家があった。 不受不施信仰の篤い当主の子どもとして文久元(1861)年に生まれた益太(号は、楽山)は、園芸に強い関心を持っていた。 そして、彼は、農業だけでなく、この地で果樹栽培を可能にし、農民の暮らしを楽にさせたいと、稗田周辺の土地が果樹栽培に不適であったにもかかわらず、裏山を開墾し果樹を植え、創意工夫を重ね、ついに桃の新品種「金桃」「六水」を生み出した。 やがて、研究熱心な彼の評判は、大原孫三郎の知るところとなり、大正3(1914)年、大原が創設した財団法人大原奨農会農業研究所(現岡山大学資源生物科学研究所)の園芸部門の指導者として、招かれることとなる。 研究所での彼は、向山果樹園にて果樹栽培の模範を示しただけでなく、肥料や消毒にも工夫を重ねて、「水密桃」の栽培に成功し、今日の果物王国岡山の礎を築いた。 大正13(1924)年62歳で没。 |
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参考文献 | 『財団法人大原農業研究所史』 西門義一著 大原奨農会発行 (1961年) |
『広報あかいわ』 平成17年12月号 P.13 |
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