絵馬 明治の世 | |
西南戦争図 | ||
制作年 不明 |
願主 不明 |
明治10 (1877)年の西郷隆盛らの反乱。明治政府に対する不平士族の最大かつ最後の反乱で、隆盛が鹿児島に設立した私学校の生徒が中心となって2月に挙兵。政府軍の反撃にあって敗退。西郷隆盛は自殺した。西郷小平(隆盛の末弟)は討死、池上四郎・村田新八は自刃。7ヶ月に及んだこの戦いを「西南戦争」という。このあと政府の権力は安定し、大きな反乱はなくなった。 |
奉献 西南戦争 熊本城炎上の図 |
制作年 不明 |
願主 不明 |
田原坂南方の吉次峠両軍死闘の場 村田新八 池上四郎 村田三介ら。旗には「新政府厚徳」と記している。決起して間もない西郷軍の意気盛んな様子を示している。西郷は熊本南郊川尻に入り、翌日より戦いがはじまった。熊本城には谷干城を司令官とする熊本鎮台が置かれており、西郷軍の第一の攻撃目標としていた。ところが西郷軍到着の二日前に熊本城はなぞの炎上をとげ、市内の中心街も一面の火の海になってしまった。 |
奉献 平壌玄武関門突入図 | ||||
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明治天皇御幸図 | ||||
制作年 不明 |
願主 不明 |
吉井川堤には、昭和九年八月七日建 枢密顧問官従二位勲一等 石原健三謹書の明治天皇巡幸祈念之碑がある。明治18(1885)年明治天皇が岡山県巡幸の際、岡山市三蟠港に上陸し後楽園を経て、上道郡一日市、西片上、三石を巡幸された。吉井川堤で休憩されたところにちなんで、御休村と改称した。 |
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