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98×70cm |
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屈原(くつげん)は、紀元前339〜278年頃、中国戦国時代の楚(国名)の詩人、政治家。中国古代の二大詩集「詩経」と「楚辞」の楚の歌謡をもとに憂国の情をもって歌う自伝的叙事詩「離騒(りそう)」を始め、楚辞文学を集大成した。 |
詩集楚辞『漁夫』より
屈原曰、擧世皆濁、我濁清、衆人皆酔、我獨醒、是以見放
屈原はいう、「世間中の人々がみな濁って汚れているのに、私だけが清んで正しい。衆人が皆酔って道理がわからないのに、私だけが醒めて道を守っている。こういうわけで私は追放されたのである。」と。 |
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神功皇后と武内宿禰の図 |
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大絵馬 |
制作年 不明 |
願主 不明 |
仲哀天皇の皇后である神功皇后は臨月の身で新羅へ出兵した。皇后は筑紫で、のちの応神天皇である譽田別命(ほんだわけのみこと)を出産された。大臣武内宿禰は仲哀天皇に仕え皇后を助け応神天皇を育てた長寿の人である。 |
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天岩戸の図 |
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大絵馬 |
制作年 不明 |
願主 不明 |
天地創造の時代、天照大神(あまてらすおおみかみ)・月読尊(つくよみのみこと)・素戔鳴尊(すさのおのみこと)が誕生。弟の素戔鳴尊は、馬の皮をはいで機織(はたおり)殿の屋根に穴をあけて投げ入れた。天照大神は驚き怒り、天の岩屋に閉じこもってしまった。国中は常闇(とこやみ)になる。、鏡の前で天鈿女尊(あめのうずめのみこと)が、巧みに踊り神々の笑をさそい、そっと戸を開けたとき天手力男神(あめのたじからおのかみ)が天照大神を引き出し、世の中が明るくなった。 |
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