梶原景季 箙(えびら)の梅図 |
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72×100cm |
制作年 不明 |
願主 不明 |
梶原景季(かげすえ)は戦場に風雅の心を忘れず、矢を収める甲冑の箙に梅の枝を差して戦った。一の谷合戦のとき、梶原景時 景季父子は生田の森で平家方の多勢に囲まれて奮戦したときの様子 |
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奉献 一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)の図 |
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制作年 明治廿七年第五月吉祥日 |
願主 高山幸一郎 黒田久二郎 |
一の谷の合戦に先立ち義経は熊谷直実に「一枝(いっし)を切らば一指(いっし)を切るべし」の制札を与える。これを須磨寺の若木の桜の木にたてるように命ずる。桜の花にたとえて、平家の公達の命をたすけよと意をほのめかす。 |
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奉○ 弁慶・牛若丸の図 |
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彩色の剥落ちが激しく、図柄文字とも判別し難い 大絵馬 |
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制作年 不明 |
願主 吉三郎 長七郎 他10名 |
牛若が五条の橋で通る人を待っていると、鎧に身をかためた弁慶が大長刀を担いでやってきた。被衣(かつぎ)姿の牛若を女と思い通りすぎようとすると、牛若、長刀の柄元を蹴り上げて戦いを挑み激闘の後 弁慶は牛若に降参し互いに名乗りあって、主従の関係を結び九条の邸にお供する。 |
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敦盛最期の図 |
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天井柱や他の絵馬の陰で一部分しか見えないが美しい大絵馬 |
制作年 不明 |
願主 不明 |
敦盛が平家一門に遅れて馬を海に泳がせたところを、黒扇を振って呼び止めたのが熊谷であった。敦盛を組み伏せて、顔を見れば息子と同じ年頃の可憐な少年ではないか、助けようとしたが味方が見ている。熊谷は泣く泣く敦盛を討つ。後年熊谷直実は出家する。 |
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